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藤村幸司
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生かされているものの責任
2007-06-03 Sun 00:00
6.3・・・たとえ、どこにいようと、何をしていようと、決して忘れることがない日。1991年6月3日、43人の命を奪った雲仙・普賢岳の大火砕流惨事から、きょうで丸16年です。

当時、私は『ズームイン!!朝!』で、毎日現地からリポートをしていました。あの日は、土石流が相次いでいた水無川中流からの中継。雨が降ったりやんだりの空模様で、私は繰り返し「土石流の危険」について呼びかけていました。「火砕流より、土石流が怖いんです」と・・・。まさか、その9時間後に、火砕流による大災害が起きるとは、夢にも思わずに。

折しも5月半ばごろから、水無川では、何度も大きな土石流が発生していました。直径が私の身長を超えるほどの巨石が流されてきたり、護岸がV字型にえぐり取られたりして、流域の住民には、そのたびに避難勧告が出されていました。

一方、火砕流は5月24日に初めて発生し(火砕流という名前が発表されたのは1~2日経ってからでした)、それ以降、何度か起きたものの、6月3日までは、1日に数百メートルほどずつ距離が伸びているだけでしたから、多くの人が火砕流は十分逃げ切れるものと思っていました。また26日の「土木作業員が火砕流に巻き込まれたものの、長袖の人は無傷で、腕まくりしていた人だけが軽いやけどを負った」というニュースも、火砕流を甘く見る要因になったと思います。あとから資料を読み返せば、当時、専門家は「火砕流は大きな災害を起こす危険がある」と警告していたのですが・・・。

いつもなら、私は翌日の放送のために、そのまま現地取材を続けるのですが、その日は、たまたま編集作業を本社で行うことにしていたため、昼過ぎには長崎に戻りました。そして午後4時過ぎ、大惨事が起きたのです。もしかしたら、私があの時間、あの場所に行っていた可能性もありました。おそらく、現地に入っていた、どのスタッフが巻き込まれていても不思議ではなかったはずです。マスコミ各社、各局がカメラを構えていたあの場所。誰が保証したわけでもないのに、「みんながいるから安全だ」と思い込み、ましてや自分たちだけ引くわけにもいかなかったのも事実です。「どこよりもいい映像を撮りたい」「他局には負けない」みんなが思っていました。

その結果、我々の仲間を含む43人が犠牲となってしましました。

マスコミが巻き込んだと言われても、仕方がありません。

マスコミは、かけがえのない命と引き換えに、多くの貴重な教訓を得たはずです。それらを決して忘れてはいけないし、伝えていかねばならないのです。それが、あの日たまたま大火砕流に飲み込まれず、こうして生きさせてもらっている私たちの責任だと思っています。

きょう6月3日、あらためて犠牲者のご冥福を心から祈ります。

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