藤村幸司
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長崎は遠くにありて思うもの
2007-09-30 Sun 12:00
放送局に勤めていたころは、1日、2日の徹夜なんて当たり前でした。午前2時を過ぎると、無性にお腹が空いてきます。「夜中に食べると眠くなるから」と言って、絶対に、夜食を食べない同僚もいましたが、私は「腹が減っては戦は出来ぬ」タイプ。だから、会社の机の下に買い置きしておいたカップ麺は必需品でした。

そんなカップ麺ですが、最近はほとんど食べる機会がありません。先日も、コンビニのカップ麺コーナーを素通りしようとしていたのですが、なぜか、ふと足が止まりました。それは、この二文字を見たからです。


「長崎」


そこにあったのは、マルちゃんの『長崎ちゃんぽん』。長崎時代は、何があろうと、けっして食べることがなかったインスタントのちゃんぽん。だって身近に、お店のおいしいちゃんぽんが、いっぱいあるんですから、わざわざインスタントを食べる気など起きませんでした。

でも、長崎を離れた今、その文字に、なんだか郷愁をおぼえ、1個買うことにしました。まったく味には期待せずに・・・。そして夜遅くなったある日の夜中に、食べてみたのです。

長崎ちゃんぽん

これが、思ったより「うまい!」。店と同じとはいかないまでも、麺もスープも、あのちゃんぽんです。舌を通して、懐かしさがよみがえってきました。思わずひとこと、「こい、うまかばい」。17年間住んだ第2のふるさと。自分でも気がつかないうちに、味の記憶も刷り込まれていたんでしょう。

あすから10月、長崎では、いよいよ秋の大祭『くんち』です。1年のうちでも、街が一番活気づき、また一番、長崎らしくなる時期。長崎のみなさん、今年のくんちは、どがんですか?(※長崎弁で、いかがですかの意)

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こんな疑似体験いかが?
2007-09-29 Sat 11:06
きのう、疑似体験ツアーについて書きましたが、そこまでしなくても、最近では、マニアックなゲームが増えていて、バーチャルの世界でなら、簡単にあこがれの世界を味わえるようになりました。プロ野球の監督、格闘家、アイドル歌手、政治家、電車の運転士・・・、誰でもコントローラーさえ握れば、疑似体験ができます。さすがに私のあこがれ『ミュージカル舞台体験ゲーム』なんて存在しないでしょうが・・・。

一時期、はまっていたのが、競艇のバーチャルゲーム。ピットアウトから、コース取りの駆け引き、大時計を見ながらのスタート、一瞬の判断が求められる旋回、さらにはエンジンやプロペラの調整まで、あたかも自分が選手になったような視点で楽しめるのです。これは、よくできていてイメージトレーニングとして利用しているという、本物の選手もいるほど。

しかし、これも実体験には勝りません。かと言って、素人がレースに出場することはできませんので、その体験をさせてくれるのが、『ペアボート』です。遊園地のカップルで乗るボートではありません。これ、全国の競艇場がファンサービスの一環として行っていて、前にファンが、後ろにプロ選手が乗って操縦する2人乗りのボートのことです。2人乗りだという以外は、本物の競走用ボートと同じで、ファンがハンドル操作をすることもできます。

レースでは時速80キロほど出ますが、ペアボートでは、せいぜい50~60キロ。それでも視線が水面スレスレで、さえぎるものがないなので、体感的には、その数倍。ジェットコースターに乗っているスリルが味わえます。また競艇のボートには座席も安全ベルトもありませんので、両足を開いて、自分の力でボートに体を固定しておかないと、旋回する時に飛ばされそうになります。ですから、2周もしてボートを降りると、もう足はガクガク。これに乗ったあとは、「へたくそー」とか「何で、そこで差さないんだー」といった、それまでレースを見ながら飛ばしていた野次が言えなくなりました。選手はすごい!

このペアボート試乗会は、全国の競艇場で行われています。ホームページや場内告知などでチェックして、チャンスがあれば、是非体験してみてください。ちなみに長崎県の大村競艇場では、10月は8日、27日、28日に実施されるようです。操縦してくれる地元の選手とのふれあいのチャンスでもあります。そして何と言っても、船底から直接伝わってくる水面の感覚、頬に受ける風、エンジンの轟音は、バーチャルでは、けっして体験できません。また選手しか見られない競走水面から見るスタンドの風景は新鮮で、感動しますよ。

ペアボート - コピー
20年前・ペアボート初体験



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“なさざりし”の後悔
2007-09-28 Fri 15:10
子どもたちが、好きな仕事にチャレンジし、楽しみながら社会のしくみを学べるという職業体験テーマパーク『キッザニア』。1年前、そのオープンを伝えるニュースを見ながら、「大人版もあればいいのに・・・」と思ったものです。

きょうの産経新聞によると、今、「日常を忘れることができる大人の社会科見学」が人気なんだそうです。旅行代理店各社が売り出したのは、キャビンアテンダントの訓練を受けられるツアー、舞妓さんに変身できるツアー、電車の運転士の訓練を体験できるツアーなど、あこがれの職業を疑似体験できるというツアーです。

皆さんなら、どんなツアーなら参加してみたいですか?私はやっぱり「ミュージカルスター疑似体験ツアー」でしょうか。帝国劇場の舞台で、『レ・ミゼラブル』のアンジョルラスさながら、赤い旗を振ってみたいものです。どれほど気持ちいいものでしょうか。「あと20年若かったら」とか、「もっと早くに舞台の魅力に出会っていたら」とか考えながら、自分の違った道を想像してみるのも楽しいものです。

最近、若い人からの相談を受けると、「やるべきか、やらざるべきか」と悩んでいるケースが多いのです。そんな時、私は「やってみてダメだったら戻ればいいし、やり直せばいい。考えていても、何も進まない。一歩踏み出してみたら、何か新しいものが見えるかもよ」と言っています。これは、私の実感としての答えです。

本当にやりたいことがあっても、早々とあきらめてしまうと、後で悔やんで、年取ってからの疑似体験ツアーに参加するしかありません。今なら、本物になれるチャンスがあるんですから、やらない手はありません。できるか、できないかを、やる前から判断などできるはずがありません。もったいない。

これまでの人生を振り返り、誰にでも「あの時、あんなことをしなければよかった」と反省することがあるはずですが、一方で「あの時、やっておけばよかった」と悔やむことのほうが、悔いは大きいような気がします。イギリスの詩人・ブラウニングが、こんなことばを残しています。

「世界には、過去の行為に対して後悔する人々が多いが、それよりむしろ、なすべくして、なさざりし行為について後悔すべきではあるまいか」

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アンチ石川遼?
2007-09-27 Thu 10:58
きょうも、気になった新聞記事から・・・。

石川遼クンが、プロツアー3戦目に向け、準備万端の仕上がりなんだそうです。きょう(27日)開幕する男子ゴルフツアー『コカ・コーラ東海クラシック』に出場する石川遼選手(16)、きのう、9ホールの練習ラウンドで最後の調整をし、そこで、ピンを直撃するスーパーショットを披露したんだとか。『デイリースポーツ』は、遼クンは、「あと10センチ短かったら人生初のホールインワンでした」とご機嫌だったと伝えています。

この記事はいいんですが、デイリーの“見出し”がいただけません。

「遼クン あわやホールインワン!」

「あわや」とは「あやうく、~するところだった」という意味です。普通は「あー、危なかった。もうちょっとで、やっちゃうところだったよ。よかった、よかった」と言うような、かろうじて事なきを得たときの、助かった側に立った表現です。単に「もう少し」という意味ではありません。だから遼クンが、ホールインワン保険にでも入っていて、保険料を支払わなければならない保険会社が「あわや」というなら、分かりますが、この場合は「あと少しでホールインワン」というのが正しいはずです。この見出しだけみれば、遼クンが、ホールインワンしないほうがいいようなニュアンスを感じてしまいます。

かつて野球中継でも「あわや、ホームラン」という表現が問題になったこともありました。「あわや、ホームラン」という実況の中には、明らかに守備側を味方した気持ちが込められているという指摘です。ピッチャーにとっては「あわや」でも、打ったバッターにとっては、あとひと伸びすればと「残念」な気持ちなんですから。

では、最近の記事の中に出てきた「あわや」を見てみましょう。

観客、あわや土俵上へ=高見盛関らが取り押さえ
美姫あわや火事遭遇…ショーも中止
阪神シーツ三ゴロめぐり、あわや乱闘
APEC開催で厳戒態勢のシドニー、TV番組の人気俳優らあわや狙撃

これこそ、まさに「あわや」です。

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その記事、ちょっと待った!
2007-09-26 Wed 19:36
来年、設立55周年を迎える『劇団四季』は、その記念公演として、1月6日から『ミュージカル・ライオンキング』を福岡シティ劇場で再演すると発表しました。実は、私がミュージカル初心者に、まずお勧めする演目が、この『ライオンキング』です。ミュージカルの命であるダンスと音楽、そしてストーリーはもちろん、演出も衣装も装置も、どれをとっても万人を満足させてくれるエンターテイメントがコレ。ミュージカル食わず嫌いの人を“改心”させるだけのパワーが十分だからです。

また公演地の方言を取り入れたセリフも話題で、私も久しぶりに『博多弁バージョン』を観てみたいと思っていたので、福岡での再演は大いにけっこうなことなのですが、それを伝える新聞記事に、個人的に気に入らない表現があるのです。それは、今、公演中の『マンマ・ミーア!』についてのくだり。

「前売りがふるわず、今月末で公演を終える」(朝日07/09/11)
「入場者が伸び悩み、9月30日で千秋楽となる」(西日本07/09/11)

マンマ!ファンの私としては、これには黙っていられません。確かに、「劇団四季は福岡シティ劇場で上演中のミュージカル『マンマ・ミーア!』の公演を9月30日で終了する。マンマ・ミーア!は5月19日に開幕したが前売り券販売の不振で10月以降の公演継続を断念した。同劇場での後継の演目は未定。」(日経ネット九州 07/07/31)と報道された通り、入場者が伸びなかったことは事実ではありますが、「振るわず」「伸び悩み」と、こんなふうに書かれると、作品自体がおもしろくないと思われてもしかたありません。もちろん、けっしてそんなことはありません。これは、先に書いたミュージカルの命、ダンスも音楽も最高で、間違いなく、ハッピーな気持ちにしてくれる作品なのですから。

かと言って、福岡での不人気の理由は、一部に言われる「九州人は文化・芸術に疎い」なんていうことでもありません。やはり、そのクオリティの問題が一番だったのではないでしょうか?たぶん、どこでやっても、同じだったような気がします【マンマ・ミーア!については過去の記事を参照ください・・・  。劇場の存続すら危ぶまれる福岡シティ劇場、だからこそ、次回の『ライオンキング』は、四季の言う「舞台に立つことが許されたレベルの高いキャスト」によって、ミュージカルファンをもっと増やしてほしいと願うのです。来年の開幕に期待です。

そして、繰り返し言いますが、『マンマ・ミーア!』は、本来打ち切られるような作品ではありません。こちらもパワーアップした次回の再演に期待します。ああ・・・保坂知寿さん、お元気ですか?

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吉か凶か、その味の組み合わせ
2007-09-25 Tue 21:38
数日前、コンビニの『サークルKサンクス』が期間限定で、オリジナルデニッシュを販売するという記事を読んでから、実は、ずっと気になっていたんです。そして、きょうがその発売日、買ってきました、税込みの126円。
キットカット外

気になったわけは、その強引な?組み合わせのせい。デニッシュパンの具が、『キットカット』まるごとだというんです。そう、ウエハースをチョコレートでコーティングした、あのお菓子、「きっと勝つ」から、受験生の御守りにもされる『キットカット』です。ちょっと思いつかない組み合わせに、キットカット好きの私としては、試してみないわけにはいきません。
キットデニッシュ

その名もズバリ『チョコデニッシュ・キットカット入り』。宣伝文句によると「サクサクのデニッシュ生地に、『キットカット』とホイップクリームをサンドしたオリジナルのパン。パンと『キットカット』の食感、そして『キットカット』とホイップクリームという2種類のスイーツの組み合わせが、これまでにないハーモニーを奏でる」んだそうです。

では、実際に食してみましょう。「ん??」
2428.jpg
外袋にはキットカットが並んで2本入っているように描かれていたのに、実際には、端っこに1本しかありません。「看板に偽りあり?」それとも「入れ忘れの不良品?」なのか・・・。その貴重な1本も、いつものキットカットの硬さはなくて、ふんわり溶けて、つぶれた感じです。でも、これが思ったよりいけます。大福もちの中に入れてもいいような気もします。次回作としていかがでしょうか?

こんな意外な組み合わせの食べ物を見ると、子どものころの苦い経験を思い出します。まだ小学校にも上がっていないころの話です。私はコーヒー牛乳が大好きでした。そして、お茶漬けも好きでした。だから、ある日の夕食時に、ふと思いついたのです。「お茶の代わりに、ごはんにコーヒー牛乳をかけたら、どんなにおいしいんだろう」と。そんな提案をする私に、当然のように親は「絶対、食べられない!」「やめておきなさい!」と許してくれません。

それでも3日ほど続けて言い続けたら「そこまで言うなら、一回やってみたら」との許可が下りました。いそいそと冷蔵庫を開け、コーヒー牛乳を取りだす瞬間のことは、不思議なことに今でもしっかり覚えています。そして、そのあとの味のことも・・・。

ドバドバとごはんの上にコーヒー牛乳をかけてみると、茶色の海に白いご飯が見え隠れしていて、見た目にもおいしそうではありません。そして、口に入れてみると、これが一瞬で吐き出すくらいに最悪な味でした。「ほら、言った通りやろ!」と言われながらも、返すことばもなく、新しいお茶碗に、ご飯をよそってもらいました。

でも、その時に「別々ではおいしいものも、いっしょにするとまずくなる場合もある」ことを学びました。そして、「実際にやってみたからこそ、分かることもある」ということも知りました。これは、子どものころのバカバカしい体験ですが、実は私の人生において、貴重な教訓をくれた出来事なのです。

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「時の人」を同時に目撃した日
2007-09-24 Mon 10:40
3年前の、2004年9月12日(日)は、劇団四季の“昭和の歴史三部作”の第3弾となる『ミュージカル南十字星』が開幕した日。『四季の会・先行予約』によって、幸運にもチケットを手にできた私は、東京・浜松町にある『四季劇場・秋』にいました。新作の、それも初日という特別な日、劇場内は何とも言えない緊張感が漂っていました。

幕が開いた舞台は、演出や装置のあちこちに人気のミュージカル『ライオンキング』や『アイーダ』の要素を取り入れたのかと思わせました。また脚本が、長ゼリフで、歴史を順番に説明しているだけ、ストーリーと音楽が融合されきっていない印象でした。正直、ミュージカル作品としての“力の無さ”に、がっかりしたのです。それでも『ブンガワン・ソロ』に代表される美しいメロディと、主演の阿久津陽一郎さん、樋口麻美さんら役者さんたちの熱演が光っていたのが救いでした。あくまで、これは初演初日の私の感想なので、その後、演出や脚本にも手直しが加えられたと思われます(再演を観ていないので何とも言えませんが)。インドネシアの日本軍兵士の物語は、テーマ自体はすばらしいので、チャンスがあればまた観てみようと思います。

きょうはミュージカルの話をしたかったのではありません。その初日の観客席で、今をときめく?『時の人』2人に遭遇したのです。ひとりは、きのう自民党総裁に選ばれた福田康夫さん。もちろん“ご招待”でしょうが・・・。そして、もうひとりは、福田さんとはかなり離れて、私の斜め前で観劇していた民主党の現代表・小沢一郎さんです。先日の会見で福田さんは小沢さんについて、「個人的にお話ししたことがない。エレベーターですれちがうぐらいだ」と語っていまいたが、その時も、お互いに(お付きの人たちが)上手に避けているように見えました。

このままいけば、福田さんが衆議院で、小沢さんが参議院で、それぞれ首相に指名されます。憲法の規定により、衆院の議決が優先され、福田総理が誕生して、いよいよ小沢民主との対決が始まります。はからずとも3年前に、たまたま劇場で見かけたお二人が、日本の政治のトップで戦うことになるのです。立場が変わり、状況も変わり、あの時のようには、避けて通るわけにはいかなくなりました。

さっそく福田さんは、小沢民主党との話し合いを強調していますが、政権奪取を狙う相手は、たやすく受けはしないでしょう。そこは国益優先で、火花を散らすことを大いに期待したいと思います。一方、お二人が観劇したミュージカルが訴えた「昭和の戦争と人間を語り継ぐ」というテーマは、与党、野党関係なく忘れないでいていただきたい。「日本は何をしてきたのか、そして今、何をすべきなのか」「政治が間違った方向に舵を取った時、国はどうなるのか」を。いびつな原爆症認定制度も、力を合わせて早く改善して欲しいものです。

そのためにも今度は、残る“昭和の歴史三部作”『李香蘭』と『異国の丘』でも、お二人、隣同士で観劇してみてはいかがでしょうか?

『アナウンサー藤村幸司ドットコム』

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切っても落とせません
2007-09-23 Sun 13:19
代表的な“誤用”として、アナウンスの世界では、かなり知られているはずなのに、今でも1日1度は耳にするし、選挙期間やマラソンシーズンなら、日に何度も聞くことになるのが、これ。

「火ぶたを切って落とす」

どうですか?よく聞きますよね。「号砲一発、レースの火ぶたが切って落とされました」「総裁選が告示され、舌戦の火ぶたが切って落とされました」などなど、戦いが始まる時には、ワンパターンのように使われています。でも、これは間違った言い方なのです。

正しくは「~の火ぶたが切られました」。「落とす」は余分です。

この「火ぶた」とは、「火蓋」と書き、1543年に種子島に伝わった鉄砲=火縄銃の火皿をおおう真ちゅう製のふたのこと。火縄銃を発砲するのには手間がかかったらしく、まず銃口から発射薬を棒で押し込み、次に火縄に火をつけて火蓋を開き、引き金を引きます。すると火縄が火皿の点火薬に火をつけ、発射薬を爆発させ弾が発射されるという仕組みだそうです。

この「切る」とは、ハサミで切断するというようなものではなく、「開く」「外す」の意味。このことから、「火ぶたを切る」とは、もともと「火蓋を開けて発火の用意をする。また、発砲する」という文字通りの意味でしたが、転じて「戦闘行動を開始する」ことを表すようになりました。

私自身、これまで火縄銃を撃ったことがないので(当然ですが)、よくわかりませんが、火ぶたは切っても落とせないモノなのですね。同じような物事を始める意味の「幕を切って落とす」と、こんがらがっているのかもしれません。「火ぶたを切って落とす」は、どの放送局の『用語集』にも、代表的な誤用の例として書かれているのですが、なぜか減る気配がありません。

ちなみに、物事を一番先に始めて、きっかけを作る意味の慣用句「口火を切る」も火縄銃からきています。「火縄銃の火ぶたに点火するための火」のことが「口火」です。

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観劇もギャンブルに?
2007-09-22 Sat 13:48
いまさらながら、私は芝居が大好きです。生の迫力と緊張感、劇場内の独特の空気は、映画やテレビでは決して味わえない魅力です。一度観た作品でも、気に入ったら何度も観たくなり、2度、3度は当たり前、10回以上観たという作品もいくつかあります。というのも、舞台は1回勝負の生モノですから、当然、出来の良し悪しはありますし、座席の位置によっても感じ方が違います。ましてやキャストが変わると、同じ作品でも、それまで気づかなかった新たな魅力を発見することも少なくありません。劇団四季が2001年に、石丸幹二さんと下村尊則さんという、まったくタイプの異なる二人のダブルキャストでハムレットを交互に公演したのは、そのいい例です。

当時、演出の浅利慶太さんは「俳優と演出の関係を、ここでお目にかけたくて、演出を変えずに“ふたりハムレット”を立てることにしました。対照的な2人の俳優を、同じ演出でこなしてみせることで、作品が変わって見えてくる。ドラマのうねりが変わってくると思うのです」と語っていました。実際に見比べた私も、主演の違いだけではない、浅利さんの言う“ドラマのうねりの変化”を感じられた気がしました。

だから私のような演劇ファンは、同じ演目を、何度も何度も観てしまうことになるのです。さらに、そこで好きになった役者さんの、ほかの舞台も観たくなるのです。これぞ観劇スパイラル?でしょうか。そうは言っても、飛行機に乗って、ホテルも予約して・・・と、時間もお金も必要な観劇は、あれもこれもというわけにはいきません。その中から厳選しなければなりません。そのために、誰がどの役を演じるかは、とても大事なのです。

劇団四季のホームページでは、その週の出演者を知らせる『キャストボックス』というコーナーがあって、私は更新される月曜日が楽しみでした。その時には観に行けなくても、「この役者とこの役者の組み合わせで、この作品が演じられたら、いったいどんなふうなんだろう」と想像するだけで、ワクワクしますし、「今度はチケット取って観に行こう」と、さっそく計画を立ててしまったりもします。

しかし、その『キャストボックス』が、今月から突然、なくなってしまいました。前にも書いたように『作品本位』の劇団ですから、「役者ではなく、作品を見てほしい」ということなのでしょう。事前にキャストを公開することで「その役者を出すな」という声が届いたり、転売目的のチケット購入が増えていることも、理由にあげています。でも、それこそ本末転倒のような気がするのです。誰が出るか行ってみなければわからない芝居。これなら私たちが、チケットを買うのも、ギャンブルになってしまいます。

四季では「四季の舞台に出演できるのは、作品の求める水準をクリアした、レベルの高い俳優だけです。どうか安心して劇場にお越しくださいますようお願い申し上げます」と言っていますが、そうじゃないんですよね。劇団のかかげる崇高なる精神はけっこうですが、演劇ファン、ミュージカルファンにとっては、残念なことです。

仕方がないので、「あの人がこの役で」と想像する楽しみは、東宝ミュージカルですることにします。東宝ではメインキャストだけでなく、アンサンブルの出演予定も公開してくれます。実にチケットが買いやすいシステムです。来月は博多座の『レ・ミゼラブル』に遠征してきます。このミュージカルは、アンサンブルにだけに注目しても、おもしろい作品です。目がいくつあっても足りません。舞台上のあちこちで、ドラマが起きています。だから、何度も観てしまいます。その数15回!もちろん、主演が変わると、味わいも違ってくる奥深さも理由でしょうが。だから日本にとどまらず、アメリカにもイギリスにも、『レ・ミゼラブル』のために出かけてしまったのです。

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「全部うまい」に、うまいものなし
2007-09-21 Fri 15:13
初めて行った居酒屋で、こんな経験はないでしょうか?

「おすすめは何ですか?」と尋ねると、店の人が・・・

「うちは、全部がおすすめですよ」

どれほど味に自信があるかは知りませんが、このひとことで会話が止まってしまいます。テーブルには、なんとも言えない、嫌な空気が漂います。

「ハハハハ、そうですよね」と、作り笑いを浮かべて、適当に注文するしかありません。たいがい、そんなことを言う店ほど、それほどおいしくないのです。その嫌な空気のせいで、味も5割減だからです。

月見つくね長崎にいたころ、お気に入りの居酒屋がありました。そこでは、アルバイトの店員さんたちでも、「何がおすすめ?」と聞くと、「私は、この月見つくねが好きなんです。そのままでもいいんですが、七味としょう油を一滴落として食べてみてください」「脂っこいものが続いたときに、この特製サラダはいいですよ。さっぱり系で、お酒もすすんじゃいます」などと、みんながみんな、自分が好きなものを、自分の感想として教えてくれるのです。それも、さわやかな笑顔とともに。

そんなふうに言われれば「頼んでみよう」となりますし、それらは例外なく、おいしいのです。また仮に、思ったよりおいしくなかったとしても、気にならない気がします。「味の好みの問題かな」と思えばいいのですから。逆に「なんでもうまい」という店で、それほどでもない料理を出されれば、腹が立ちますもん。

前にも書きました。
料理をおいしくする要素は、『シェフの腕前』『空腹』『会話』そして『笑顔』だと。会話と笑顔は、仲間内だけでなく、客と店の関係でも同じ。単なる注文でも、キャッチボールの会話です。だから、味もさることながら、『会話』と『笑顔』がおいしい店に、足が向くんだと思います。

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がんばれ!若造
2007-09-20 Thu 12:19
小泉チルドレンら自民党の1年生議員で作る『新しい風』(会長は「偉大なるイエスマン」の武部勤さん)の会合で、あの杉村太蔵議員が、皆が揃って福田氏の支持をすることに「こんなことじゃ、自民党は終わりですよ」と反発したところ、武部さんが「もう来るな」と激怒したというニュース。聞いた時には、「タイゾー議員、なかなかやるやん」と思いました。

どうやら私と同じ感想を持った人は多かったようで、きょうのスポーツ報知によると「よく言った!」というエールが寄せられているんだとか。自身のブログにも「勝ち馬に乗ることだけが勝ちだとはとても思えない」として、「派閥の親分が右だからと言って右に向くような、そんな先祖も驚きの先祖返りをするような選択しかできないようならば、はっきり言って政治家なんて誰でもできるじゃないか」と、至極ごもっともで、私たちと近い感覚の発言をしています。これを読んで、私のイライラも少し、すっきりした感じです。

そもそも、『新しい風』って、「脱・派閥」を訴えていたはずなのに、いつのまにか、それ自体が派閥になっているように見えます。今回の一連の動きからは、古さはあっても、名前の「新しさ」なんて、微塵も感じられませんでした。会長本人も古狸のようですし・・・(失礼)。

当選したときは「高級料亭に行ける」とか「新幹線はグリーン車」だと、はしゃいでいたタイゾー議員。その発言も発想も、国会議員としては軽率、稚拙すぎましたが、とはいえ、国民と同じ素直な感覚は、なくさないで欲しいと思います。彼のブログを読んだり、最近の発言をチェックしてみると、けっこう骨っぽいことも言っています。「まだまだ若造で、議員としては働いていない」という批判もありますが、誰にでも若造時代はあるわけで、これから彼らしい働きに期待してみませんか。理不尽なことに反発して、後先考えずに、組織とも、上司ともやりあった自分の若いころと、ふと重ねて合せてしまいました。

『アナウンサー藤村幸司ドットコム』


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日本語は、まことに美しい
2007-09-19 Wed 13:18
以前、このブログ『肌寒い』は「はださむい」と濁らず読んで、本来は夏が終わって秋が来たころに使うのが正しいと書きました。まさに、ここ数日、朝晩は、めっきり『肌寒く』なってきましたね。

この時期の寒さの表現を調べてみると、その表現の豊かさに驚かされます。例えば、秋になって、何となく寒い、少し寒く感じられるようになってきたのを『薄寒(うすさむ)い』とか『うそ寒い』『うすら寒い』と言います。秋も半ばを過ぎ、特に朝夕に感じる冷え込みは『秋寒(あきさむ)』『秋冷(しゅうれい)』。晩秋の朝方の寒さは『朝寒(あささむ)』、夜なら『夜寒(よさむ)』となります。病に伏した松尾芭蕉が、近江堅田(今の滋賀県)で詠んだ句が「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝哉」。夜空を群れとなって渡る雁の列から、一羽だけが急に落ちてしまった。あの雁は、夜寒にたえきれなかった病気の雁なのかもしれない。芭蕉は雁と自分を重ね合わせたんでしょう。心の寒さとも感じさせる『夜寒』ということばが効いています。

秋には『露寒(つゆさむ)』という表現もあります。これは露のびっしりおりた夜の寒さを表しています。『そぞろ寒』は、秋が深まって、それとなく感じるほどの寒さ、『身にしみる』も、秋の冷気や物悲しさを言ったことばだそうです。どれも、日本らしい風情を感じます。涼しさから寒さへ移る、この微妙な気温の変化をとらえ、昔の人は、こうやって美しい響きのことばにして残したんですね。

『アナウンサー藤村幸司ドットコム』

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はじめてのカップヌードル
2007-09-18 Tue 19:23
『食欲の秋』なので、食べ物の話題でも・・・。はるか昔の出来事なのに、今でも初めて食べたときの印象を、はっきり覚えている食品があります。

それが、『日清のカップヌードル』

cupnoodle.jpg


私が小学校低学年のころなので、かれこれ35年ほど前になります。場所は、兵庫県姫路市。その日は、毎年10月14日と15日に行われる『灘のけんか祭り』を見物に行ったのです。神輿をぶつけ合う勇壮で荒々しい『練り合わせ』で、全国的に知られている祭りです。カップヌードルは、その祭りの舞台となる松原八幡神社近くの商店の前で出会いました。

何だか、長い行列ができていました。その先にあったのが、カップヌードルの自動販売機。カップヌードルと聞いたのも、見たのも、その時が初めてでした。それは、子どもの私の目には「宇宙食のような21世紀の夢の食べ物」に映りました。値段は、たしか100円で、ラーメンとしては、けっこう高かったと記憶しているのですが、親に「絶対、食べたい」と言って、行列に並んだのです。「あした、学校に行ったら、みんなに自慢しよう」などと考えながら。

自動販売機といっても、その横には、さっきまで祭りに参加していたと思われる、しめこみ姿のおじさんがいて、すべてやってくれます。自分でお金を入れたかったのですが、おじさんに100円を渡し、お金の投入からお湯を入れるまで、待っているだけ。ちょっと、がっかり・・・。

そして、フタまで、おじさんが開けてくれ、プラスティックのフォークを渡されました。ついに私の手元に「未知なる夢の食品」がやってきました。ドキドキ・・・。

そして、一口食べて・・・。


「げ!まずい」


これまで味わったことのない食感と、ドッグフードのような(そう感じたのです)におい。あれだけ待って、あれだけワクワクしたのに、結局、ほんの一口食べただけで捨ててしましました。「ほんと、まずかった」という印象が、私とカップヌードルとの出会いでした。もちろん、友だちに自慢するどころか、この話は、今まで封印していたのです。

私の味覚が変わったのか、味が進化したのか、あの自動販売機がおかしかったのか、今ではカップヌードルが大好きです。いろいろなカップラーメンがありますが、ふと食べたくなるのがカップヌードルなのですから、不思議なものです。

ここまで書いて、ちょっとカップヌードルについてネットで調べてみて、びっくり!しました。なんと、きょう9月18日は、カップヌードルの誕生日。発売36周年の記念日だというではありませんか。偶然にも、こんな日に、初めて食べたときのことを思い出させたカップヌードルパワーって、すごくないですか。

『アナウンサー藤村幸司ドットコム』


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気まずい沈黙は誰のせい?
2007-09-17 Mon 19:07
それまで続いていた会話が、ふと途切れて、その場が沈黙になることがあります。フランスでは、これを「天使が通った」と言うそうです。大学時代のこと、学食で友人数人と、ワイワイ言いながら食事をしているときに、一瞬、会話が止まったことがありました。私は、かなりの気づかい者。その沈黙に耐えられず、何とかこの空気を打ち破ろうと、頭の中をグルグル回し、話題を探していました。もはや料理を味わうことより、しゃべるネタ探しが優先です。

ところが、そんな私とは違って、友人たちは何ら変わる様子もなく、黙々と料理を口に運んでいます。「僕がこんなに焦っているのに・・・」と思いつつ、「お前ら、今、何考えてた?」と、聞いてみました。すると、口をそろえて、答えは「別に、何も」。さらに「この沈黙が、気まづくないの?」との問いには、「沈黙すら気づかなかった」と。なんだか、ばかばかしくなってきました。

ほんの30秒ほどの沈黙だったといえ、私がこんなにも会話再開のきっかけを探していたことを訴えると、また皆が同じように「だって、それ藤村の役目」とサラリ。まぁ、確かに喋り好きで、仲間内でも会話をリードするのは私でしたが・・・。

きょう買った本『明るい話し方が“人の心”をつかむ』(斎藤茂太・著)の中に、「気まずい沈黙は、話し手が悪いのか聞き手が悪いのか」という項目がありました。以下、抜粋して引用します。

ふと会話が途切れ、なんだか気まずい空気が流れだす、といったことがある。その原因の大半は話し手のほうではなく、聞き手のほうにあるのではないか。
会話とはリズムだ。卓球の球を打ち合うようにして、ポンポンポンと行き交うから話がはずんでゆく。
聞く側の態度が、話し手のほうの話のリズムを狂わし、気まずい沈黙が生まれがちになる。


さすが、モタ先生、いいことおっしゃる。なんだか、20数年前の学食での出来事をリベンジしてもらった気がしました。もちろん、私自身も、いい話し手であり、いい聞き手になるために、このモタ先生のことばを胸に刻んだのでした。



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にっちも、さっちも
2007-09-15 Sat 12:42
家族と夕食をとりながらの、安倍総理、突然の辞任についての会話。

「もう、にっちもさっちも行かなくなったんやろうね」

そう自分で言ったあと、この「にっちも、さっちも」って、いったい何?だろうと気になりました。「みーちゃん、はーちゃん」と同じで、人のことを指しているのかと予想を立てたのですが・・・。(V6の井ノ原クンをイノッチと呼ぶように)

これ、漢字で書くと「二進も三進も」。元は『そろばん用語』だそうです。「二進」は2÷2、「三進」は3÷3を意味する、割り算の九九のことば。2÷2も3÷3も割り切れますが、どう計算しても割り切れない、うまくいかないというのが「二進も三進も行かない」状態。そこから物事が行き詰って、身動きが取れないさまを言うようになったのだとか。

でも、私たちの世代で「にっちもさっちも」と言えば、続きは「♪どうにもブルドッグ、イェ~イ」です。言わずと知れたフォーリーブスの代表曲。改めてジャケットで歌詞を確かめてみたら、安倍総理にそのまま贈りたくなりました。

ブルドッグ黙れ!うるさいぞお前ら
泣くな!悲しみにまけるな
こらえきれずに泣きだすのはヤセ犬だ

黙れ!戦いは終わった
傷は夜明けには薄れる
くやしさだけを胸の奥に刻み込め


「政治生命は終わった」と言う人もいますが、このままフェードアウトするには若すぎるし、もったいないと思うのですが。

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とんびに油揚げ
2007-09-14 Fri 18:00
「とんびに油揚げをさらわれる」といえば、てっきり自分のものになると思っていたものを、突然、横取りされてしまうこと。麻生太郎・幹事長にとっては、福田康夫・元官房長官が、とんびに映っているのではないでしょうか。ポスト安倍の最右翼と思われた麻生さん、一夜明けたら、包囲網が出来上がっていて、麻生派以外は福田氏支持なんだそうです。つまり、この時点ですでに福田総理誕生が濃厚というわけです。

私たちの目には、今まで何をしていたのか分からない、まさに影を潜めていた福田氏の急浮上。一連の動きを見ていると、政治とは実に恐ろしいもので、また、タイミングや詰めが肝心だと思います。それにしても、派閥の数合わせをしていること自体、昔に逆戻りの印象はぬぐえません。今、自民党の総裁を決めることは結局、日本国の総理大臣を選ぶことですから、もっと、国民にも分かりやすくならないものでしょうか。

負け惜しみのようにも聞こえる麻生氏の「候補者が政策発表する前に、派閥推薦が決まるような状態は、派閥レベルの談合だ、密室だとの批判を受けることになる」という意見こそ、私にはもっともだと聞こえるのですが。政治家同士の握手や、笑顔からは駆け引きや思惑ばかりが見えてしまうのは、私ばかりではないでしょう。

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誰のためのデジタル化?
2007-09-13 Thu 15:27
バブルの頃には、まさか「潰れる」などとは想像もできなかった銀行、ゼネコン、百貨店など、大手一流企業の倒産、合併、再編のニュース。最近では耳にしても、まったく驚かなくなりました。それでも「テレビ局だけは別」という確信のない安心がありましたが、今やそうは言っていられない時代になっています。その一番の理由は、国の施策によって2011年7月に完全移行する『地上デジタル放送』にほかなりません。

民放連はきのう、地上デジタル放送に伴う全民放テレビ局の設備投資額が約1兆440億円になる見通しだと発表しました。4年前の試算より約3割も増えた額です。試算は、まだデジタル放送が始まっていなかった時点なので、スタートしてみたら、予想以上にお金がかかりそうだというわけです。これはローカル局では、1社当たり平均54億円の新規投資になります。

実際、私もデジタル化に向けた作業をしていましたから、これは、とんでもないお金がかかる事業だというのを実感として理解できます。これまでのアナログ機器はすべてお払い箱で、まったく別に新しい放送局を作るのと同じことなんですから・・・。平成になって開局した、いわゆる『平成新局』などは、ようやく開局時の設備投資を償却して、「いよいよこれから」という時に、新たな、それも莫大な借金を抱えねばならないわけで、まさに「生きるか、死ぬか」の存亡の危機を迎えています。

だから管轄する総務省は、ひとつの企業がいくつものマスコミを独占することを認めない『マスメディア集中排除原則』を見直し、体力のない地方局の合併の可能性も探っています。それは、地域内での系列局同士のケースや、同県内の他系列同士など、さまざまなパターンが考えられます。

合併にせよ、再編にせよ、相手より有利な立場にいるために、経営基盤を固めるのが先決であるのは言うまでもありません。そのために、経営者にとっては「いかにコストをかけずに、儲けるか」が一番になります。テレビ現場の人間は「視聴者に喜ばれる、質の高い作品を作りたい」と常に考えていて、その目的のためだけに、徹夜も休日返上もいとわない者も少なくありません。でも経営者に言わせれば、「いい作品なんて必要ない。売れる商品(番組)を作れ」ということになります。当然、視点は視聴者でなく、スポンサーです。

これでは、いったい「誰のための、何のためのデジタル化」なのか分からなくなります。でも私は、現場から「いい作品を作りたい」という気概がなくなった局から、衰退の道に進んでいくと信じています。そう思わないとやっていられませんし。今後、テレビ局再編は、どうなるんでしょうか・・・。

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なんという度量の狭さ
2007-09-12 Wed 12:49
大相撲に熱中し始めたのは中学校時代。外国人力士に支えられ、それも東西の横綱が揃わないのが当たり前のような今では考えられませんが、当時は、輪島、北の湖、2代目若乃花、三重の海の4横綱時代。私の中学校でも、男子の間で相撲は大人気でした。短い休み時間には、ガチャガチャで集めた『力士のそっくり消しゴム人形』で取り組みをしたり、昼休みには運動場で、実際に相撲を取って、番付けを作ったりしたものでした。

強くて、個性的な力士が多かったあの頃。中でも私のお気に入りは輪島でした。絶妙なタイミングで下手投げを繰り出す彼の『黄金の左』は、クラスの流行語にもなっていました。その輪島の魅力をを引き立てたのが、5つ歳下で若くて体格が良く、メキメキ力をつけていた、北の湖の存在でした。腰痛に苦しみながら必死に白星を積み重ねるイメージがあった輪島に対して、完璧なまでに強くて、憎たらしいほどの強い勝ち方をする北の湖。輪島の存在を脅かすライバルとして、相撲を何倍もおもしろくしてくれました。

あまりにも強すぎて、悪役、嫌われ役だった北の湖でしたが、どんな汚いヤジを飛ばされても、動ずることなく黙々と土俵を務める態度を見ていて、子どもごころに「かっこいい」と感じたことがありました。勝負に真摯であり、潔くあり、それが男らしかったのです。相撲とはそんな、奥が深いかっこいい世界だと感じました。

あれから約30年、その北の湖は今、ご存知の通り、日本相撲協会の理事長です。ところが、最近のゴタゴタ続きの大相撲界を見ていると、北の湖理事長に、あの「かっこよさ」も「潔さ」も感じることができません。なぜ、トップとしてしっかりとした説明をしないのでしょうか。もっとリーダーシップを発揮してくれないのでしょうか。

注目の秋場所初日の協会あいさつにも、がっかりしました。これだけ世間を騒がせる事態になっていて、ひとことも、その件に触れることのないあいさつ。心がこもっていたのでしょうか。さらに、株を下げる行為が、元NHKの大相撲名物アナウンサーで、相撲評論家の杉山邦博さんの取材証没収問題。TBS系『みのもんたの朝ズバッ!』で、「朝青龍の処分は弁護士を交えて決定したほうが良い」との別のコメンテーターの話に、杉山さんがうなずいていたことを、北の湖理事長は「協会批判だ」と受け取ったというのです。

これが本当だとしたら、なんという度量の狭さでしょうか。北の湖理事長、どうか現役時代の相撲のように『(ふところ)の広さ』を見せてください。かっこいい相撲界のトップとして。

【追記】きょう、両者が話し合い、北の湖理事長から直接、杉山さんに取材証が返還されたそうです。この流れで、朝青竜問題も、八百長問題も片付いていけばいいのですが・・・。

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消えた苦手語
2007-09-11 Tue 13:09
『アナウンサー泣かせ』のつづきです。ニュース原稿に出てくるたびに憂うつになり、「このことばが、なくなればいいのに」と思っていた単語とは・・・・

「派出所」

ハシュチュジョ・・
ハチュシュジョ・・

苦手だと思い込むと、余計に緊張し、舌を噛みそうになります。そんな私の思いが通じたのか?1994年、「派出所の呼称変更」の知らせを聞いた時には、思わず“バンザイ”したものです。

元々「派出所」が正式な名前で、「交番」は、一般的に呼ばれていた、いわゆる俗称だったのですが、「交番の方が親しみやすい」との理由から(それだけではなく、おまわりさんも電話に出る時に「ハイ、○○派出所です」と、言いにくかったのが本当の理由に違いありません)、法律の改正に伴って、「交番」が正式名称になったのです。

ほとんどの派出所の名前は消えましたが、港には「水上派出所」、空港や大使館などの「警備派出所」として、残っています。

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驚くべき、間違えないわけ
2007-09-10 Mon 10:46
文化庁が毎年行っている『国語に関する世論調査』の18年度の結果報告が発表されました。パソコンが普及した今、漢字の使い方や、慣用句の意味の理解度はどう変化しているかを調査しています。それによると、慣用句「上下への大騒ぎ」を「上下への大騒ぎ」だと、間違って使っている人が59%に上るといいます。これは、本来は上にあるべきものが下にきていたり、下にあるはずのものが上にあったりと、それほど混乱して大騒ぎしているさまを表したことばですから「上を下への~」が正解。

以前、このブログで取り上げたことばも、いくつかが調査対象になっていますが、どれも正答率はかんばしくありません。

実は数日前、私はアナウンススクールの局アナ志望クラスの学生たちに、まったく同じ出題をしたばかりでした。漢字と慣用句について、「ことばのプロであるアナウンサーでも誤用は多い。今から正しくしっかり覚えておくことは、アナウンサー受験にとって有利」と説明した後に、「上を下へ~」のほか、「押しも押されぬ」は「押しも押されもせぬ」、「苦虫をかんだような顔」は「苦虫をかみつぶしたような顔」が正しいという説明をしたのです。

そこで驚いたのは、多くの学生はそんな間違いを今までしたことがなかったのです。なぜなら、「そんな慣用句を使ったことがない」から。使わなければ、間違えることもないわけです。それだけならまだしも、彼らは「聞いたことすらない」と言うので、愕然としました。『国語に関する世論調査』では、これを使う人は2割という結果が出ていますが、若い層だけなら限りなく“ゼロ”に近いかもしれません。

アナウンススクールで「これは間違いだから、こう正しく覚えましょう」と教えるつもりで講義に臨んだものの、ことばの説明から始めなければなりませんでした。誤用も問題ですが、一般的な慣用句を、まったく知らないという若者が増えていることは、さらに問題です。

『国語に関する世論調査』の目的は「国語施策を進める上での参考とする」ということだとか。調べるだけではなく、この結果を受け、今後どんな施策を進めるのかが大事なことは言うまでもありません。

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ブルドーザーのような女?
2007-09-09 Sun 17:28
田村純子

食べ放題の昼食バイキングで、しこたま食べつくし、至福の笑顔?を見せる女性。長崎国際テレビ→日本海テレビ→テレビ金沢と、アナウンサーとして日テレ系列3社を渡り歩いた異色の経歴を持つ田村純子さんです。彼女と話していると、つくづく「ブルドーザーみたいな女やなぁ~」と思うのです。くれぐれも言っときますが、けっして体型のことではありません。画像の通り、実物も細っそりしています。

「ブルドーザーみたい」なのは、彼女の生き方です。どんな荒れ地であろうと、密林であろうと、ドカドカ一気に入り込んで、自分の思い描くように整地し、開拓してしまうのです。大阪で一般企業に勤めているときに、私の長崎からの『ズームイン!!朝!』の中継を見て、「アナウンサーになる!」と決心した時もそうでした。思い立ったらすぐ行動とばかり、アポもなく突然、長崎までやってきて、会社の受け付けに履歴書を置いて「アナウンサーにしてください」とだけ告げて帰ったのです。これには、みんな唖然とさせられました。でも、その勢いに押されて?見事、アナウンサー未経験者の中途採用という異例が起きたのです。

テレビ金沢を今年3月末で退社した彼女は、また次なる夢に突き進んでいます。あこがれていた『カラーコーディネーター』として、東京を拠点に全国を回る日々だとか。これも、何の“つて”も“コネ”もないのに、尊敬するカラーコーディネーターの所に押し掛けて、実現させたと言います。

恐れ知らずで、厚かましく、時には無謀にも見える彼女の行動ですが、現実として、そのやり方で次々に目標を達成させているのですから驚きます。それは強引さを相手に感じさせない、彼女の不思議な魅力のなせる技なのかも知れません。彼女はいつも言います。「人間って、やろうと思ったら何でもできるんです。あきらめたら終わりですから」と。

一見、無謀なことを実現させる裏には、人の何倍もの努力があることを知っています。だから私は、尊敬とあこがれを込めて、彼女のことを『ブルドーザー女』と呼ぶのです。

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台風のニュースに・・・
2007-09-08 Sat 00:00
首都圏を直撃し、東日本を中心に大きな被害をもたらした台風9号。そのニュースの中には、相変わらず『漢語』があふれているので、気になって仕方がありませんでした。まずは「河川」。河川の増水、河川の氾濫など、「カセン」ということばは、頻繁に出てきますが、これを「かわ」と言い換えてはいけないのでしょうか。「河川には近づかないように」と呼びかけるより、「川には近づかないように」と言われたほうが、分かりやすいと思うのです。辞書によると、「河川とは、かわのこと」と書かれています。私が読むニュースでは、河川はすべて「かわ」と言い換えていました。

文字で表す新聞と違い、音声で伝えるテレビでは、「はなしことば」が基本です。「冠水した」というのも、「水をかぶった」に、「橋梁が損壊しています」は、「橋が壊れています」に、「流失した家屋」は「流された家」と言ったほうが、聞き手にはすんなり伝わると思います。

文字で見れば理解できることばでも、耳から聞いただけでは、文章の前後関係を判断しないと、全く別の意味になってしまう場合があります。ある日、公営競技の告知用ナレーションを担当することになりました。その原稿は「本日開催予定のレースは、コウテンのため中止となりました」というもの。一瞬、聞いただけでは「いい天気=好天だったら、できないレースってあるの?」と思ってしまいます。この「コウテン」は「荒天」のほうでした。いかにも、お役所的表現です。担当者には、「画面には文字でも出ますし、スポンサーも代理店もチェック済みですので、そのまま読んでください」と言われたのですが、若くてとんがっていた私は、「こんな原稿、読みたくない」と突っ返したのです。今から思えば、その担当者には申し訳なかったと思うのですが・・・。結局その告知は「悪天候のため中止になりました」と変更され、後日、私が読みました。

放送で話す以上、常に『聞き手』にどう伝わるかを一番に考え、最後まで工夫することを忘れたくないと思います。とはいえ、これが『言うは易し、行うは難し』なんですけれど。

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アナウンサー泣かせ
2007-09-07 Fri 11:16
科学技術振興機構と東京大学の研究チームが、骨粗しょう症が起きるメカニズムの一端を、世界で初めて突き止めたそうです。この朗報自体は、諸手を挙げて歓迎すべきなのですが、実は、私にとっては少々、いやなニュースです。

その理由は・・・

骨粗しょう症→コツソショウショウ


読みにくいのです。

いわゆる『アナウンサー泣かせ』の単語のひとつがこれ。私も、生放送で何度か読んだことがありますが、このことばを含む原稿があるときは、ひときわ緊張したものです。うまく言えた後は、心の中でガッツポーズをしたものです。

自分で言うのもなんですが、私は、あまり“かまない”アナウンサーなのですが、それでも苦手な単語がいくつかあります。骨粗しょう症のほか、手術、貯蔵酒・・・などなど。

2004年、フジテレビの『トリビアの泉』で、「アナウンサーが最も言いづらいことば」を調査していました。それによると、第1位・高速増殖炉もんじゅ、第2位・手術中、第3位・貨客船万景峰号、第4位・ 取りざたされる、第5位・白装束集団、第6位・出場、第7位・栃乃洋→トチノナダ、第8位・老若男女→ロウニャクナンニョ、第9位・暖かく、第10位・火星探査車という結果。どれも納得、身に覚えがあります。

さらに去年の調査では、1位・摘出手術、2位・腹腔鏡手術、3位・低所得者層、4位・六カ国協議 、5位・貨客船万景峰号、6位・マサチューセッツ州、7位・偽札作り、8位・老若男女、9位・高速増殖炉もんじゅ、10位・トリニダード・トバゴでした。言いにくいことばにも、時代が表われるものですね。正直、「こんな言いにくい単語は世の中から消えてしまえ!」なんて乱暴なことを考えることもあるのですが、それが現実になったのです。そのことばとは、誰もが知っている・・・・。(つづく)

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運を呼び込む方法
2007-09-06 Thu 23:15
会社を辞めたころから、『運』とか『運命』を、意識するようになりました。きょう、出会った人も、聞いた話も、体験した出来事も、どれも『偶然』ではなく、「何らかの意味がある」と考えるようになったのです。それは、ある不思議な体験がきっかけなのですが、そう思うだけで、生きていく上の緊張感が生まれ、「きょうは何があるのか」と、毎日がワクワクしてきます。

「ついてないなー」「何か、いいことないかなー」と、後ろ向きなことを考えているうちは、前進はありません。おそらく、その精神状態では『何か、いいこと』があっても、気づかないまま、やり過ごしてしまうはずです。私にも、そんな時期がありました。逆に、「ついている」「いいこと、ありそう」と考えるだけで、『いいこと』を見落とすことがなくなるし、どの出会いや体験も、大切に思えてきます。

私は「人生はトントン」「人生はプラマイ・ゼロ」と考えています。悪いことばかりある人にも、必ずいいことも訪れるし、いいこと続きに見える人でも、その裏には人知れず苦労がある、だから最終的にプラスマイナスはゼロなのではないかと。

そんなプラスもマイナスもある人生で、マイナスばかりを気にするあまり、『いいこと』に気づかないのは、とても、もったいないことだと思います。逆に、『いいこと』に出会うためのアンテナを張り巡らしていると、実際に『いいこと』が、次々にやってきます。そんな人は、周りにもラッキーをふりまきます。

ささいなことでもいいんです。偶然、街で再会した人が「こんなところで藤村さんに会えるなんて、ついてるな~」と言いました。単に、「たまたま会った」ではなく、「ついてる」と考えるだけで、幸せになれます。そして言われた私も、幸せを感じます。そんな風にスタートした立ち話が、のちのちに、大きな話に発展することにもなるのです。

だまされたと思って、一度、なんでも「ついてる」「運がある」と考えてみてください。今まで見落としていた『いいこと』に気づくはずです。それだけではありません。そうしていると、新たな『いいこと』を呼び込むこともできるのです。

経営の神様・松下幸之助翁も、こんなことばを遺しています。

「運があるという信念ができたら、人間強うおますな。自分は運が強い、そう考えたら、一所懸命やればいい仕事ができる、と思えるようになる。そうすれば将来の展望も違ったことになってくる。自分ではどうしようもない運もあるが、与えられた運を育て上げていくことも大切でしょうね。」

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あさっての次の日は?
2007-09-05 Wed 13:50
ある日の電話での会話です。

「では、明後日の13時ということで・・・」

と、言われた私は、「ミョウゴニチだから、あしたの次の日。ということは、○日だな」と、なんだか翻訳のような思考回路を働かせてしまいました。素直に「あさって」と言ってくれれば、いいものを・・・。

ところで、あさっての次の日は何といいますか?「あした・あさって・しあさて」ですから、「しあさって」が一般的です。また地域によっては「やのあさって」あるいは「やなあさって」とも言います。でも、放送では「しあさって」も「やのあさって」も、「やなあさって」も使いません。必ず「○月○日」とか「○日後」と、具体的に言うようにしています。それは分かりやすさもありますが、こんな理由もあるのです。

「しあさって」が、地域によって別の日を意味するからなんです。私は「あさって」の翌日が「しあさって」だと思っていますが、関東や東北の一部などでは「あさって」の翌日を「やのあさって・やなあさって」と言い、その翌日が「しあさって」なのです。また東京では、「しあさって」の次の日を「やのあさって」と呼びます。

最初の電話のように言えば、「東京では、明明後日の翌日が、やのあさって」となります。ややこしいです。

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わいせつ罪?
2007-09-04 Tue 01:06
地下鉄の車内でのこと。ようやく腰かけた私の前に立ったのは、20歳代中頃とおぼしき女性。それも、かなりの美人!!、かつ、おしゃれ。彼女のファッションは、ジャケットにジーンズなんですが、ジャケットは、流行りの丈が短く、子どもサイズかと思うくらいぴったりの形。インナーのタンクトップは、胸元を強調し、これまた、短い!ファッション誌的に表現すると『ショート×ショート』とでも言うのでしょうか。

さらに、ジーンズが、きわどいくらいのローライズ。いわゆる『腰ばき』というやつです。つまり、上は限りなく短く、下はギリギリまで下げているわけで、『へそ出しルック』どころか、『お腹が丸出し』なのです。たしかに、見せてもいいような、贅肉のない、きれいなお腹でしたが、私のすぐ目の前に、それがあるのですから、たまったものでは?ありません。男ですから、当然、視線をそこに集中させてしまいそうになります。

しかし、そこはがまん、がまん。理性によって、オーバー気味に、視線を落として見ないようにしてみます。でも本音は、やはり気になる…。私の中で静かな葛藤があるわけです。一方、彼女は、窓に映った自分の姿を見ながら、シャンプーのコマーシャルさながら、髪をかきあげたり、ジャケットの襟の形を整えたりしています。ちょっと、変???

2駅ほど過ぎて、私も慣れてきたのもあって、見るでもなく、とはいえ、ことさら不自然に視線を落とすこともしなくなったころ、窓に向ってポーズを取っていた彼女は突然、私に「何、見てるのよ!」的視線を浴びせました。けっして、じっと見ていたわけではないのですが・・・。見てなくもないので、強くは言えませんが、「見られるのがいやなら出すなよ」とも言いたくなりました。

そんなことがあって、見つけたのは、こんな記事。

米南部で「腰パン」禁止条例=わいせつ罪で禁固刑も

【シリコンバレー2日時事】ぶかぶかズボンを腰までずり下げてパンツの一部を露出させる「腰パン」と呼ばれる若者ファッションを、禁固刑など厳罰で取り締まる条例が米南部の自治体で相次ぎ導入されている。法による服装規制に反対論は根強く、「人種差別だ」との批判も上がっている。
米メディアによると、ルイジアナ州マンスフィールドは9月15日から、腰パンを公然わいせつ罪と判断し、違反者に最大15日間の禁固刑か150ドル(約1万7400円)に上る罰金を科す。南東部の拠点都市アトランタの市議会も同様の条例施行を検討中だ。


そこまでしなくても・・・と、思わないでもありませんが、地下鉄の、あの『お腹丸出し』は、今考えても、行きすぎでした。女性のみなさん、こんな場合、男はどうすべきなんでしょうか?また、いくらトレンドだといえ、あのファッションって、どうなんでしょうか?

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悪事は明らかになるもの
2007-09-03 Mon 00:00
「三度目の正直」にはならず、「二度あることは三度ある」になってしまいました。。事務所費問題を追及されて自殺した松岡氏、事務所費に加え、ばんそうこう会見でも不評を買った赤城氏。この二人の後を受け「今度こそは」と選ばれたはずの新・農水大臣も、早々と辞任の意向だそうです。

就任あいさつで「ここ(農水)だけは、来たくなかった」と言った時に、なんだか嫌な予感がしましたが、よくもまぁ、次から次へと、怪しい問題が出てくるものです。こうなると、この人だけではなく、政治家はみんなやっているんだろうと考えるのが自然です。徹底的に身体検査をすれば、大臣の資格のある議員って、ひとりもいないのではないかと疑いたくなります。

念願の大臣に上り詰めても、けっきょく悪事は暴かれるのです。自民だけでなく、民主の新人議員たちも、当選したとたん次々に、問題が明らかになっています。それもこれも、「人生、甘くない」「いつか、しっぺ返しがくる」という教訓のような気がします。だから自分は、地道に真っ当に生きようとも思います。

そんなふうに、少し前向きに?考えてみたものの、この国は大丈夫なのか、ほんとうに不安になりますし、もう、うんざりです。

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立ち位置
2007-09-02 Sun 09:00
我々の業界で言う『立ち位置』とは二つあります。ひとつは、読んで字の如く、「立つ位置」。カメラでうまくとらえられるように、あるいは、照明がきれいに当たるように、出演者が、スタジオや舞台で、「この時は、ここに立つ」という場所のこと。足もとに目印のテープが貼ってあったりします。これは物理的な『立ち位置』。

対して、『精神的立ち位置』とでも言うべきものがあります。私たちは、テレビの仕事でも、イベントの仕事でも、その中での自分の『立ち位置』を考えます。それには『役割』とか『責任』の意味合いが入ってきます。漫才に『ボケ』と『つっこみ』が、スポーツに『ディフェンス』と『オフェンス』が、芝居に『主役』と『脇役』がいるように、その仕事において、私は何をすべきで、何が求められているか、『自分の立ち位置』が、あいまいのままだと、結果は的外れになってしまいます。世界陸上の放送を見ていて、そんな『立ち位置』の見極め方の難しさを、つくづく感じました。

きのう、メダルには届かなかったものの、前日に続いて日本記録を更新する記録で、世界の5本の指に入った男子400リレーの塚原、末続、高平、朝原の各選手。4人すべてが全力を尽くし、レース後の表情には、無念さよりも達成感が読み取れました。私もテレビの前で、体の芯が震えるような感動を受けました。

しかし、その後に俳優の織田裕二さんが、しゃべり始めると、感動が急に冷めていくのに気づきました。彼は番組のメインキャスターとして、よく勉強していることも伝わってきますし、選手たちとも精神的な交流を深めていることも分かります。日本チームの応援団リーダーという役割もあるのでしょう。それにしても、ひとりで熱いのです。語りすぎるのです。主役が変わってしまうのです。制作者側は、キャスターが視聴者と同じ立ち位置に立って感動を伝える狙いがあるのでしょう。でも、そこに少しでも温度差が生じると、見ている側は、おいてけぼりにされてしまいます。

これには、私自身も過去を振り返って、反省することが少なくありません。自分の思いいれが強ければ強いほど、感動を伝えたいと思えば思うほど、ひとりで暴走していました。自分の『立ち位置』が、ぐらついていた証拠です。陸上を、そして日本選手を、こよなく愛する織田さんだけに、視聴者が彼といっしょに感動できる立ち位置があるはずです。

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生きた心地がしませんでした
2007-09-01 Sat 11:34
もう10年以上前、出張で東京に宿泊した日のこと。午前9時過ぎ、会議に出席するため、出発の準備をしていたときに、地震が起きました。後にも先にも感じたことのないような揺れ、ゆっくり大きくそして長い揺れでした。でも、人はいざという時には何もできないものです。それも自宅ならまだしも、宿泊先の部屋では、テレビをつけるのが精いっぱいでした。

窓から外を眺めると、特に異状なし。一方、廊下には、慌てて出てきた宿泊客が増えています。窓が割れたり、物が落ちたりした様子はありません。しばらくすると、テレビでは淡々と「震度2」と伝えていました。実は私が泊まっていたのは、池袋の高層ホテルの32階。高層階だったので、震度2でも、「この世の終わり」のように揺れたのでした。

高層ビルの地震で困るのは、エレベーターがストップしてしまうこと。私の泊まったホテルの場合も、揺れが収まったあとも20分ほどエレベーターは稼働せず。ちょうどチェックアウト時間と重なったため、エレベーターホールは人で、ごったがえしていました。

会議に間に合わないので、非常階段を使おうと行ってみると、こちらも通行禁止で、まさに足止め状態。ようやくエレベーターが動き始めたあとも、最上階が37階のため、降りてくるカゴはどれも超満員。結局、さらに20分ほど待って、地上に降りることができました。生きた心地がしなかった時間でしたが、地上は、何もなかったような平穏な朝。東京の人たちには「あんな揺れなら日常茶飯事」と笑われました。

きょうは、1923(大正12)年、14万人を超える犠牲者を出した関東大震災が起きた日。そして、その教訓を生かそうと制定された『防災の日』です。昨夜も、近畿地区で弱い地震がありましたが、ここ数年、これまであまり起きなかった場所でも、地震が増えているような気がします。

社団法人・全宅連の行った『防災アンケート』によると、「将来、自分の住んでいる地域での天災発生を予測している」と答えた人は93%を超えていました。つまり、ほとんどの人が、災害は他人事ではないと思っているのです。その一方で、物質面でも精神面でも、どれだけの準備ができているかといえば、疑問です。私自身、あの東京のホテルで感じた揺れを思い出すたびに、『備え』の大切さを実感し、反省します。

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