藤村幸司
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伊良部容疑者が歌った曲は・・・
2008-08-21 Thu 22:03
新聞各紙
きょうの朝刊一面トップは、各紙とも「ボルト世界新で2冠」でした。100メートルに続いて200メートルでも、ぶっちぎりの優勝。なんだか人間業の域を超えて、サイボーグかと思わせるほどの走りっぷり、いやはや圧倒されました。スポーツ選手ってすごいです。

その新聞各紙の社会面には、元スポーツ選手の記事が・・・。酔っ払ってバーで暴れた大リーグでも活躍した元プロ野球選手「伊良部容疑者を釈放」のニュースです。実はきのう私は、『情報ライブ ミヤネ屋』で伊良部容疑者が逮捕されたバーを取材し、店のスタッフに話を聞くことができました。

店内は、割れたボトルやグラスが散乱したままで、床もまだ酒でびちゃびちゃの状態。伊良部容疑者が座っていたカウンター席には、飲んでいたグラスやタバコもそのままでした。そこから狭いカウンターの中にいるスタッフめがけて、至近距離から金属製の灰皿を投げつけたのです。灰皿が顔のすぐ横をかすめていったスタッフは、「生きた心地がしなかった」と言います。後ろの棚の洋酒瓶は粉々で、壁は飛び散った酒で赤く染まっていました。

最初はグラスでビールを飲んでいたそうですが、ピッチがどんどん速まって、最後はリキュールをラッパ飲みしていたという伊良部容疑者。いざ清算の際に、持っていたハイクラスのクレジットカードが提携外だったことに突然怒りだし、そのリキュール瓶も投げつけたんだとか。あの体格の伊良部容疑者が暴れだしたのですから、店の中がパニックになったというのも理解できます。

ところで、カウンターに残されていた二つのものが気になりました。ひとつは広げられた“おしぼり”。サインペンで何かが書かれています。聞くと、店にいた女性からサインを求められた伊良部容疑者が、愛想よく応じて書いたものだそうです。ほかのお客さんとも仲良く会話していたそうで、恐怖を感じたスタッフの皆さんでさえ、「気さくで、とてもいい人」「やさしい人」だったと振り返っています。もちろん、突然暴れだす前までは・・・。

気になったもうひとつは、容疑者が座っていた席の前にあった“カラオケマイク”。もしや、歌ったのか?と聞いてみると、楽しそうにマイクを握って盛り上がったそうです。歌った曲は・・・

『♪六甲おろし』

それ、ちょっと聞いてみたかった気もしますが、それで大トラになってしまったのでしょうか。釈放される時に、警察署の前で「せっかく楽しく飲んでいたのに、ちょっとした手違いで力が入ってしまった」と語っているように、ほんとうに機嫌よく飲んでいたのは間違いない伊良部容疑者。「酒は飲んでも飲まれるな」を身にしみて感じた・・・でしょうか。

公式HP『アナウンサー藤村幸司ドットコム』
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銅メダルの感動を共有
2008-08-20 Wed 20:25
きのうに続いて、きょうも大阪府八尾市に行くことに。でも、今度はいい話です。

目的地は、ミキハウスの本社。北京オリンピックのシンクロ・デュエット決勝で、中国と熾烈なメダル争いを演じていた鈴木絵美子、原田早穂ペアの応援会場です。ふたりともミキハウスの所属なんです。

ミキハウス
おしゃれで立派な本社ビル。その1階ロビーには大型スクリーンが用意され、およそ100人の同僚のみなさんが、お揃いのハッピ姿で応援していました。ライバル中国ペアが先に演技を終えていて、あとは日本ペアの演技を待つだけ。それまでにぎやかに声援を送っていた皆さんも、二人の演技が始まったら、水を打ったように静かに、息を飲んで見守りました。

原田選手が「挑戦者として臨んだ」という演技は、ぴったり息が合って美しく、スピードも十分。そしてメダル確定が決まった瞬間には、本社ロビーには割れんばかりの歓声が響きました。1984年ロサンゼルス大会でシンクロが正式種目になってから、これで7大会連続で日本シンクロ勢のメダル獲得です。その日本の伝統を守るという執念さえ感じた堂々の銅メダル。私も思わず社員の皆さんと一緒にバンザイしていました。次はチームでのメダルに期待です。

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“ぞっ”とする現場
2008-08-19 Tue 23:18
「国道に小型飛行機が落ちた」

そんな一報を受けて向かったのは、大阪府八尾市。小型機が山の中や、斜面に墜落した事故を取材したことはありましたが、今度は街なかの幹線道路。場所が場所だけに大変なことになっているかもしれないと、不安を抱きながら現場に急いだのです。

きょう午前10時すぎ、八尾市の国道170号線弓削交差点付近に、小型機が不時着。機長(34)と搭乗していた航空写真のカメラマン(57)が軽傷。通行中の車や歩行者らに被害はありませんでした。

セスナ墜落
現場は2車線の道路のど真ん中。右の翼は折れ、左翼は完全にもぎ取れている状態。機体も「への字」に折れ曲がっていて、事故の衝撃のすごさを物語っていました。

事故機の無残な姿以上に驚いたのが、現場周辺の状況でした。すぐ脇には自動車の販売店、斜め前はカラオケ店。すぐ近くにはファミリーレストランやファストフードのチェーン店もあり、さらに住宅やマンションも集まっている場所。近所の人の話によると、不時着した午前10時頃は、いつも道路は渋滞し、人の通行も多いのだそうです。

だから、たまたま車も人も通っていなかったのは“奇跡的”と言ってもほど。それだけに「もう少し前に落ちていたら」とか「漏れた燃料に火がついていたら」と考えたら“ぞっ”とします。機長の判断で、一瞬のこの場所を選んで不時着したのかもしれません。警察と国土交通省の事故調査委員会が原因を調べていますが、本当に大事にいたらずに良かったと思える現場でした。

それにしても、現場に近い八尾空港は、小型飛行機が頻繁に離発着しています。二度とこんな事故が起きないような対策をしてもらわないと、おちおち道も歩けません。

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中村選手13位でしたが・・・
2008-08-17 Sun 20:54
北京オリンピックは佳境を迎えていますが、テレビの前で一喜一憂している方も多いことでしょう。それにしても日本人選手の活躍を見るのは気持ちがいいものです。そんな中、きょうは「日本勢3連覇なるか」「5大会連続メダル獲得は」と注目が集まる女子マラソンが行われました。

私はその時、中村友梨香選手の母校、兵庫県立西宮高校で、集まった地元の皆さんと一緒に応援していました。オリンピック代表が発表された3月10日以来の西宮高校でしたが、学校では応援の準備万端整っていて、応援会場の講堂の前には首から金メダルをかけた“ゆりか人形”まで登場していました。
中村友梨香人形

結果はご存じの通り「中村選手13位、土佐礼子選手は途中棄権」。野口みずき選手の欠場もあり、波乱含みのレースでしたが、中村選手は日本人選手として意地を見せ、健闘してくれたと思います。「3連覇」「5連続メダル」と言葉にするのはた易いことですが、世界のトップで成績を残すのがいかに難しいことかということを改めて感じます。

レース終盤では、先頭、2位集団から後退していった中村選手を、中継の国際映像がとらえるチャンスが少なくなっていましたが、一瞬映る中村選手の姿に西宮高校に詰めかけた皆さんからは、温かい声援と拍手が送られ続けていました。そしてスタジアムに戻ってきたときには、大歓声に。結果は残念だったかもしれませんが、そこにいた誰もが「よくやった」「お疲れ様」そして「感動をありがとう」と思ったはずです。
西宮高校応援

レース後、恩師の先生や同級生の皆さんに話を聞きましたが、誰もが涙ぐみながら、彼女の健闘を称えていたのが印象的でした。マスコミは「日本勢、メダルならず」と残念がって伝えるでしょうが、私は不思議なほどさわやかな気分で、会場を後にしたのでした。

中村選手、ありがとう。ほんとうにお疲れ様でした。

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追悼・荒勢さん
2008-08-13 Wed 23:28
世の中は帰省ラッシュの真っただ中。その人波に押し流されるように、四国の高知県まで行ってきました。特にきのうは、『よさこい祭り』の最終日、きょうは『納涼花火大会』と重なったためどこも人、人、人であふれかえっていました。と言っても私は、高知まで祭り見物に出かけたわけではありません。

大相撲の元関脇でタレントの荒勢さんが、11日に高知市内の病院で亡くなりました。まだ59歳の若さでした。通夜と告別式が荒勢さんの故郷、高知県いの町で営まれ、今回はその取材のための高知行きでした。私の子どものころ、輪島、北の湖が横綱で張り合っていて学校でも相撲がブームでした。その時代には、個性派の関取が数多くいて、中でも代表的な存在が荒勢関だったのです。立派なもみあげがトレードマークで、勝ちパターンは、うなり声を上げながらの“がぶり寄り”。そのようすは、今でもはっきりと思い出せます。

若い人たちは、土俵上の荒勢さんより、引退後のタレントとしての印象が強いでしょう。ひげをたくわえた、いかつい風貌で、テレビや映画では怖いキャラクターを演じていました。でも友人や知人のみなさんに聞くと、本当の荒勢さんはまったく逆の性格だったそうです。

「細かいことにも気がつく優しい人」「自身の体調がすぐれないときでも、他人を思いやり励ましていた」「児童虐待を防止するNPO活動に参加していた」など、失礼ながら外見とは結びつかないようなエピソードを数多く聞きました。親孝行で、3年前に亡くなったお父様が闘病中には、たびたび東京から故郷に戻り、回復を祈ってひとりで神社にお参りしているのを見かけた人もいました。私は生前の荒勢さんにお会いしたことはないのですが、親族のみなさんや、友人、知人のみなさんからそんな話を聞いているうちに、あらためて荒勢さんのファンになってしましました。

ご親族によると、重い病気も見つかっていたそうです。ご自身は、覚悟をしていたのかもしれません。故郷・高知を愛した荒勢さん、「最後はここで」と思っていたのでしょうか。そして帰省した幼なじみたちが集まりやすいこの日に、旅立っていったのかも知れません。きょうはとても暑い日でしたが、告別式の直前、土砂降りの雨になりました。それが出棺の時には嘘のように晴れたのです。これも、細かいことに気をつかう荒勢さんの「一雨降らせて涼しくしよう」との仕業に思えてなりませんでした。

ひつぎで眠る荒勢さんは、笑っているような、そして今にも話しだしそうな安らかな表情でした。取材をすればするほど、荒勢さんが地元のみなさんに愛されていたことがわかりました。ご冥福を心からお祈りします。

荒勢化粧回し
【画像は荒勢さんの化粧回し】

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