藤村幸司
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みどり先生からのチョコレート
2009-02-12 Thu 22:44
この業界に20年以上もいると、「子どものころ、藤村さんの番組見てました」なんて言う若いスタッフと仕事をすることも珍しくなくなりました。そんな時は、つくづく自分の年齢を感じるわけですが、その逆の場合、私の子どものころにテレビの中にいた人と仕事でご一緒すると、ミーハー気分になって、かなり感激するものです。

まだ学校に上がる前、お昼前に必ず見ていた番組が『ロンパールーム』。同世代の皆さんは懐かしく思うでしょうが、知らない方のために解説すると、幼児向けの教育番組で、幼稚園や保育園のお遊戯や絵本の時間をそのままテレビにしたような番組でした。今もある『おかあさんといっしょ』みたいな感じです。出演しているのは、進行役でもある先生(みどりおねえさん)と、10人ほどの子どもたち。番組で使われるおもちゃ、パンチボールやニコちゃん風船、お馬のギャロップ、貼り付け式の着せ替え=お天気坊や?などは、デパートに行くたびにおねだりして買ってもらい、テレビの前で一緒に遊んだものです。

先生は、何代か変わったのですが、私の時代の先生が、今『情報ライブ ミヤネ屋』にコメンテーターとして出演されてる“うつみ宮土理さん”でした。子どものころあこがれだった、ロンパールームのみどり先生と40年の時を経て、同じ番組に出ているのが、不思議でなりません。

番組の最後には、みどり先生が魔法の鏡を取り出して、「鏡よ、鏡よ、鏡さん、みんなに会わせてくださいな、そ~っと会わせてくださいな」と言って、「たろう君、はなこちゃんのお顔が見えましたよ、あきらくん、よしこちゃん、じろうくん、よっちゃん、元気そうですね」などと、次々に子どもの名前を呼んでいくのです。日本中の良い子たちは、テレビの前で自分の名前が呼ばれるのを心待ちにしたものです。私も「こうじくん」と言ってほしくてほしくて・・・。これが、めったに呼ばれないのですが、呼ばれた時は大喜びした覚えがあります。

そんな名前を呼んでほしくてたまらなかった“みどり先生”から、直筆で私の名前を書いたバレンタインチョコをいただきました。この感動、当時、テレビの前で正座しながら名前を呼ばれるのを待っていた同世代のみなさんなら、わかってくれますよね。
うつみ宮土理

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ダチョウが人類を救う!?
2009-02-09 Mon 00:00
日本中でインフルエンザが猛威を振るっています。『ミヤネ屋』のスタッフにも、インフルエンザが蔓延していて、順番に次々とかかっているような状況です。ですから、外でのロケよりも、社内でのマスクのほうが欠かせません。さらに今年は、抗インフルエンザ薬のタミフルが効かないウイルスが広がっているそうですし、近い将来に出現するとみられる『新型インフルエンザ』の恐怖も高まるばかりです。

そんな不安を解決してくれる研究が進められていると聞いて向かったのが、神戸市の山の中。その場所には、遠くから見ても、かなり大きくて黒い生き物がうじゃうじゃ動いていました。そして近づいてみてびっくり。その生き物とは、これ!
ダチョウ

ダチョウです。

京都府立大学大学院の塚本康浩教授が、さまざまなウイルスを撃退するための抗体を、ダチョウに作らせる方法を見つけたのです。これまでは、マウスやウサギに無害化したウイルス(=抗原)を注射し、体内で作られた抗体を取り出していました。これだと取れる量が少なく、手間もかかっていたのですが、ダチョウの卵から取り出すことで大量生産でき、コストは4000分の1になるそうです。そのほかにも、ダチョウならではのメリットがたくさんあって、本格的に実用化されれば、いいことだらけ。30年後、塚本教授がノーベル賞受賞なんていうこともあるかもしれません。塚本教授は、研究者だから気難しい人なのかと思いきや、まったく逆。とても気さくで楽しい先生でした。ロケの合間には、同世代でもあるので子どものころ見たアニメや特撮ヒーローものの話で盛り上がってしまいました。
マスク

薬となるのは、もう少し先のことになりそうですが、ダチョウ抗体を使ったマスクはすでに発売され、品切れ続出の大人気となっています。これまで高機能のマスクは繊維の目を細かくして、ウイルスの侵入を防いでいたのですが、そのため息苦しさがありました。一方、ダチョウ抗体マスクは考え方から違います。マスクに染み込ませた抗体が、入ってくるウイルスや病原菌を弱めたり退治したりしてくれるのです。だから実際に、つけてみるとフィットしているのに、息苦しさはまったくありません。

詳しくはきょう2月9日の『情報ライブ ミヤネ屋』で。
集団ダチョウ

ところで、ダチョウって近くで見ると、怖いんです。その大きさもさることながら、目がギョロっとしていて、大きなくちばしには噛まれるし、ものすごい勢いで走ってくるし・・・。突進されそうにもなったのです。それまで怖がっていた私に「大丈夫です」と言っていた塚本教授ですら、真っ先に逃げたんですから、その時の私のパニックぶりは想像できるかもしれません。撮影していたカメラマンは、よだれたらして笑ってましたが・・・。薄情な!


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四半世紀ぶりの味
2009-02-08 Sun 11:17
突然思い出して、無性に食べたくなるものってありますよね。そんなわけで、途中下車して、明石へ。目指したのは『都きしめん・明石本店』です。学生時代には、ほんとよく食べたものですが、ほぼ25年ぶり。昔はカウンターだけの小さな店だったのに、明石駅ビルの中でけっこう立派になっていました。でもメニューは当時と同じ。あの頃の定番だった、かつお節がたっぷりのった“かつおきしめん”と、おにぎりを食べてきました。懐かしくてうまかったです。
都きしめん

きしめんを味わいながら、いろいろな記憶がよみがえってきましたが、そうしたら今度は姫路の『えきそば』が恋しくなってきました。JR姫路駅の名物で、中華めんと和風だしのマッチングがいいのです。当時は安っぽい?プラスチックのどんぶりに入っていて、列車の中でもすすりました。これも25年は食べていません。それにしても味の記憶って焼き付いているものですね。超ローカルネタですみません。

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わが故郷にもイケメンがいた!
2009-02-07 Sat 23:59
加古川
加古川の実家に帰ってテレビをザッピングしていたら、俳優の中村譲さんがインタビューを受けていました。以前、はまって見ていたTBSの昼ドラ『スイート10~最後の恋人~』で、かっこいい役を演じていたのが印象的で、香港やシンガポール、台湾でも活躍している役者さんです。そんな中村さんのインタビューの背景が、なんと!わが故郷“加古川市の市章”だったんです。

「え?なにごと??」と思ったら、加古川観光協会が、加古川市を全国発信しようと“加古川観光大使”なるものを創設し、その第1号に中村讓さんが選ばれたんだとか。地元ケーブルテレビBAN-BANTVのマニアックな質問にも、えらく詳しい中村さん。それもそのはず、加古川市の出身で大学までの23年間を過ごしたんだそうです。

いやー、知りませんでした。加古川出身といえば、古くは歌手の菅原洋一さん、最近では陣内智則さんや上野樹里さんが知られています。元シアトル・マリナーズの長谷川滋利さんや弁護士の住田裕子 さんもそうですが、中村さんも同郷だったとは・・・。中村さんは「仕事で苦しんだときなどに地元を心のよりどころとしてきた」と話しています。加古川出身にこんなイケメンがいたとは、うれしい限りです。

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裸の男と炎のまつり・蘇民祭
2009-02-05 Thu 23:01
「わいせつ?」「セクハラ?」と、そのポスターが去年、騒動となった岩手県奥州市の黒石寺『蘇民祭』。ことしは2月1日夜から2日朝にかけて夜通し行われ、私は『ミヤネ屋』の取材で体験リポートをするはめに(泣)なりました。映像で見ただけでも、震えが来るほどのすごい祭り。ずっしりと重い気持ちのまま、あの日、岩手に入ったのでした。
黒石寺

当然、あたり一面が銀世界。そして、その寒さが尋常ではありません。大阪の寒さとは“格”が違います。昼間、分厚いコートを着ていてもブルブル震えるほどでした。それなのに、さらに氷点下まで冷え込んだ夜10時から朝7時頃までの9時間が、祭りの本番。ふんどし一丁で水をかぶったり、燃えるやぐらの上に上ったり・・・。「こんな過酷なものに、一体全体、どうして参加する人がいるのか?」、容易に理解できなかったのです。そこで地元の経験者たちに聞いてみると、誰もが口をそろえるように「出れば分かる」「やった者にしか分からない」との答え。
蘇民祭

「ならば、理解してやろうじゃないか!」とばかりに意を決し、人生初のふんどし姿になり、極寒の中に飛び出したのです。まずは“裸参り”から。これは寺の脇を流れる川で3度水をかぶり、山の上のお堂を回ってから、再び川で水をかぶる・・・を、3度繰り返すもの。つまり合計9回水をかぶるのです。地元の方に教えていただいた掛け声「そみんしょうらい!」(祭りの由来ともなった故事に出てくる人物、蘇民将来のこと)と叫び、肩から水を浴びます。頭からかぶる人もいますが、正式には「肩から」だとか。頭からだと、髪の長い人はすぐ凍ってしまうそうです。

一瞬、心臓が止まるかと思いましたが、水をかぶったすぐ後は、肌がカッカして体から湯気があがります。不思議なことに、一瞬寒さを忘れるのです。ところが、そのままの姿で石段を上り下りし、お堂を回るのが耐えられません。寒風が吹きくたびに、体が凍えてきて、歯もガチガチ鳴ります。3度目の水を浴びて、お堂に向かう頃には、意識が遠のきそうになりました。それでも邪気を払う掛け声「ジャッソウ、ジョヤサ」と叫んで、気合いを入れるのです。ここまでで1時間あまり。まだまだ始まったばかりです。

次に待ち受ける試練は、松の木を組み上げ、火の粉と煙を浴びて心身を清める“柴燈木(ひたき)登り”。足もとには火がついて熱いし、ものすごい煙で息ができず、目は痛み涙がこぼれました。さらに“別当登り”“鬼子登り”という行事の後、午前5時、クライマックスの“蘇民袋争奪戦”の開始です。小間木(こまぎ)と呼ばれる縁起ものが入った袋を奪いあい、最後まで袋を持っていた男は災いを免れると言われています。押しくらまんじゅうのように裸の男たちが、全力で体をぶつけ合い、2時間もの間、袋を奪い合います。ここでは私の体も傷だらけ、足腰もフラフラです。最後は雪の積もった土手を、団子状態のまま転げ落ち、ようやく勝負終了。やはり蘇民袋を取ることはできませんでしたが、最後まで争った証明のお札と小間木を手にすることができました。
小間木

「東奥の奇祭」と呼ばれる蘇民祭ですが、実際に参加してみると、地元のみなさんが実に純粋に、かつ真剣に伝統を守り続けていて、単に変わった祭りとは表現できない、魂のこもった行事だと感じました。そして「出れば分かる」と言われた魅力も少しは理解できた気がします。つらく苦しい祭りでしたが、貴重な体験でした。

そうそう、番組内で宮根さんとじゃんけん勝負をして、私が勝ったので、来年は宮根さんが出ることになりました。いやー、1年後が楽しみです。


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