藤村幸司
http://fujimurakoji.blog91.fc2.com/
World Wide Weblog
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | top↑
全員が佑ちゃんファン?
2011-04-25 Mon 23:31
ほっともっと外観
きのうは、『ほっともっとフィールド神戸』へ。なじみの薄い名前なのも当然で、昨シーズンまでは『スカイマークスタジアム』と言っていたオリックスの準本拠地球場のこと。もともと『グリーンスタジアム神戸』として誕生ましたが、施設命名権(ネーミングライツ)で、『Yahoo! BBスタジアム』になり『スカイマーク~』になり、今年から『ほっともっと~』だそうです。名前は頻繁に変わっても、かつてイチロー選手が「日本一の球場」と称した青々とした天然芝の美しい球場に変わりなし。ここを今、震災のためにプロ野球・楽天(本拠地・仙台市)が、当面の拠点にしています。きのうは、日本ハムを迎えての3連戦の最終日。いよいよ「斎藤祐樹投手のプロ2回目の先発ゲーム」というわけで、いざ“観戦”に!、いや“取材”に出かけたのです。
佑ちゃん球場入り
大勢のファンが待ち構える中、球場入りした斎藤投手。サングラス姿で表情は分かりませんでしたが、さすがに気合とプレッシャーはひしひし。佑ちゃんスマイルはなく、あたりに緊張感が漂っていました。一方、チケットを手に球場に向かうお客さんにインタビューすると・・・。日ハムファンはもちろん、驚くことに楽天ファンまでもが「佑ちゃんにがんばってほしい」「佑ちゃんを応援します」と言ってはばかりません。また、普段は巨人ファン、阪神ファンなどセ・リーグしか見ないという人も「佑ちゃん!佑ちゃん」、さらに「野球は見たことがないけれど、きょうは佑ちゃんを応援に来た」というご婦人方のなんと多いことか。スタンドのお客さん、1万9000人全員が「佑ちゃん!がんばれ」と言っているような雰囲気すらありました。
佑ちゃんマウンド
そんな人たちからのパワーをもらっているからなのか、斎藤投手は何度もピンチ作り、始終ハラハラさせられながらも、6イニング8安打3失点、見事にデビュー2連勝を飾りました。熱い声援を送るスタンドのお客さんも、取られたら取り返す日ハム打撃陣も、そして、まずい攻めで佑ちゃんを助ける形になった楽天ナインすらも、佑ちゃんが味方につけているのかと思えるくらいの展開。実力とは別に「なにか持っている」のを、目の前で見たような気がしました。
ほっともっと神戸
打たれても、すぐに立て直す粘り強いピッチングを見せた斎藤投手は、試合後 「ラッキーな部分が大きいし、結果良しという感じでした。変化球がいいところに決まったけれど、反省点がたくさんあります」と謙虚に答えてくれました。そのあと、バスに乗り込むときには、球場入りの時とは打って変わってキラキラとまぶしいほどの笑顔。文字通り“王子さま”のようでした。冷え込む中、3時間半の熱戦を応援したご婦人のファンたちが揃って「かっこよかった。絶対また来ます」と言ったことばも納得できます。
公式HP『アナウンサー藤村幸司ドットコム』
スポンサーサイト
別窓 | きょうの出来事 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
津波災害~歴史は繰り返すなら
2011-04-19 Tue 11:47
地震、火山噴火、台風、豪雨、洪水、土石流、土砂崩れ・・・これまで数々の自然災害の現場を取材し、その恐ろしさを目の当りにしてきたにもかかわらず、正直“津波”に関しては、ほとんど意識をしたことがありませんでした。それだけにこの甚大な被害に、人の力の及ばない自然の脅威を思い知らされたと同時に、津波について知らな過ぎたことを痛感しました。今、読んでいる吉村昭・著『三陸海岸 大津波』は、明治29年、昭和8年、昭和35年に三陸沿岸を襲った大津波を取材し記録した作品です。今から40年以上前に出版された本ながら、その記述はまるで今回の災害について書かれているかのよう。驚くほどに生々しく、私が被災地で見た光景そのままでした。「歴史は繰り返される」そんなことばが、頭をよぎりました。
三陸海岸大津波
たとえば明治29年の被害の状況がこう書かれています。『村落は荒地と化していた。(中略)丘陵のふもとにある家々がわずかに半壊状態で残されているだけで、海岸線に軒をならべていた家々は跡形もなく消えていた』『家屋・漁船の破片や根こそぎさらわれた樹木が、芥のように充満していた』『大樹の梢には、昆布等の海草がひっかかっていて、いかに津波の高さが常識を逸したものであったかをしめしていた』など。被災直後の避難や救助についても『電線も道路も杜絶して、救援隊もやってはこない』『やがて山間部の村落から有志によって組織された救援隊がやってきて、乏しいながらも食料が生き残った人々に支給された。が、死骸を取り片づけるには労力不足で、死体はそのまま処分もされずに放置されていた』と。さらに、そんな中で『日本赤十字社では、医師11名、看護人・看護婦40名を急派したが、仙台支部でも多数の医師、看護婦が災害地に夜を徹して急ぎ・・・(略)』というのもほぼ同じ。
潰れた車
また、かなり高い丘の中腹に建っている家まで津波に襲われたことを受け『田野畑村の津波をふせぐために設けられている防潮堤の高さは8メートルで、専門家もそれで十分だとしているが、「ここまで津波が来たとすると、あんな防潮堤ではどうにもならない」と不安そうに顔を曇らせた』という住民の証言までもが、今回の状況とあまりにもダブってしまいます。
破壊された防潮堤
明治三陸大津波では死者・行方不明者が2万2000人にのぼり、これまで国内最悪の津波被害とされてきました。しかし、18日午後6時現在、警察庁は東日本大震災による死者と行方不明者が、それを上回る2万7759人になったと発表しました。歴史を紐解けば、三陸地方がいかに津波の多発地域だったかがわかります。現地で取材しても、ほかの地域に比べて津波に対する意識が高く、さまざまな対策が講じられていたことを感じます。でも、それらはどれだけ有効だったのか、どれだけ生かされたのか、今後、徹底的な分析と検証が必要です。また今回の教訓や記録を伝えていかねばなりません。すべては次の時代の津波対策のために。

かつて三陸を襲った大津波の記録を読んでいると、どれも被害が甚大で、復興など到底無理にも思われました。しかし現実は、町は見事によみがえり、人々はたくましく生きてきました。歴史は繰り返されるというなら、今度もかならず東北は力強く再生するはずです。過去になかった原発問題が加わりましたが、時代とともに英知も技術も進歩しています。日本中、世界中からかき集め、注ぎ込めばきっと乗り越えられはずです。そんなことを過去の大津波災害が教えてくれているような気がします。

公式HP『アナウンサー藤村幸司ドットコム』
別窓 | つぶやき | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
感じられない時間の進み
2011-04-13 Wed 16:14
大阪葉桜
久々の大阪、前に見たときはつぼみだった近所のサクラが、すでに葉ザクラになっていました。この1か月で、季節が確実に進んでいたことを今さらながら感じましたが、被災地にいると、この「時間の進み」をなかなか感じることができませんでした。
被災地上空
きのう上空から見た被災地。震災直後に比べると道路だけは通れるようになりましたが、周辺は前のまま、がれきに埋もれています。逆に道路などから除去したがれきが集まって、その高さだけが増しています。見渡す景色は1か月前と、ほとんど変わっていません。被災範囲が広いこと、いまだに行方不明の方々が大勢いること、人手も重機も燃料も足りないことなど、様々な理由はありますが、この「時間の進まない」光景を眺めながらもどかしく、唇をかみました。
がれきの山
1か月間、被災地を回ってみて一番感じたことは、東北のみなさんの「強さ」と「やさしさ」でした。「強さ」は心の強さはもちろん、我慢強さ、団結力の強さ、郷土愛の強さ。そして少ない物資を譲り合う姿、元気な者が弱い者を助け、若者がお年寄りをいたわる様子、さらに我々報道陣にまで感謝し、体調まで気にかけてくれる心づかい。その深い優しさをつくづく感じました。

でもそんな「強さ」や「優しさ」も、あと少しの力が加われば折れそうなところまできています。大切な人、住み慣れた家を失った方々が、展望の見えない不安な日々を送っています。だから、たまたま被災しなかっただけの我々が、支え、後押しする責任があるのです。現地の受け入れ体制が整っていないとの理由で、ボランティアが被災地入りを控えていました。ようやく各地でボランティアセンターも動き始め、人も増えてきましたが、現地にいて感じたのは、まだまだ全然足りないということ。たしかに義援金は大事です。でも今は人手がいるのです。被災者の高齢者や女性が、スコップを手に家の中のヘドロをかき出しています。取っても取っても減らないがれきを運び出しています。受け入れ体制うんぬんと言っている場合ではないんです。さきに都市部でシステム的に動けるチームを作ってから、被災地に乗り込むことができないんでしょうか。

多くの被災者の方々から同じことばを聞きました。「先が見えない不安と恐怖。国のリーダーから、大丈夫、安心してとひとこと聞けたら、どんなに落ち着くことか。残念で悔しい」と。強くて優しい東北のみなさんが、勇気を持って歩みだせるよう、今一度、日本中で考えましょう。希望の見える新しい東北の青写真を示せるように手を携えましょう。東北にもサクラ前線が近づいています。春到来とともに、止まったように見える時間のスピードをあげるためにも。

日本赤十字社・東日本大震災義援金HP

公式HP『アナウンサー藤村幸司ドットコム』
別窓 | つぶやき | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
散乱した学用品
2011-04-08 Fri 23:09
このたびの東日本大震災の取材で、たびたび経験している強い余震。でも昨夜11時32分の揺れには、ほんとうに肝を冷しました。翌朝早い取材のためウトウトしかかった頃、宿の部屋がギシギシと音を立て、細かく揺れ始めたと思ったとたん、携帯電話からけたたましいサイレン音。その「緊急地震速報」とほぼ同時に左右に大きな揺れが30秒ほど続きました。とっさにテレビのリモコンを握ったものの、停電で反応なし。あわてて机の下にもぐって、服を着て靴を履いて、部屋を飛び出しました。ようやく復旧へ向けて加速しよういう矢先の余震。まだまだ被災地では緊張と不安が続いています。どうぞ一日も早く東北の皆さんがぐっすり眠れますように、祈るしかありません。

この宮城県北部と中部で震度6強を観測した余震の影響で、宮城・女川町で、きょう予定されていた小中学校の入学式と始業式が延期になりました。宮城県の被災地の学校としては最も早い再開となるはずでしたが「いまだに余震が続いていることと、この地震による校舎の安全性の確認をする」との理由で、無期限の延期だそうです。

先日、取材した女川第二小学校では、若い女性の先生が子どもたちの机ひとつひとつをていねいに拭きあげ、学用品を並べていました。おそらく子どもたち、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら・・・。そんな準備万端整っていたはず教室でしたが、けさ訪れると、まっすぐに並んでいた机は曲がり、机の上のかわいらしい学用品は床に散乱。地震の仕業とはわかっていても、無性に怒りがこみ上げてきました。
女川第二小学校

長引く避難所生活で子どもたちのストレスも溜まっています。また恐ろしい津波の記憶と余震の恐怖も残ります。女川町がどこよりも早く学校再開を決めたのは「友だちや先生と触れあうことで、傷ついた心を癒やしてくれるはず」との判断でした。私は普賢岳の噴火災害や阪神・淡路大震災の取材で「子どもたちの笑顔が、大人たちを勇気づけ、町の復興へつながる」ようすも見てきました。被災地に次々と立ちはだかる困難ですが、きっと乗り越えられます。そんな思いで、先生たちは散乱した学用品をまたひとつひとつ、並べていました。子どもたちの笑顔を思い浮かべながら。

別窓 | きょうの出来事 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
託されたボール
2011-04-04 Mon 21:40
各地でサクラの開花が発表されているというのに、被災地はまだまだ冬です。きょう取材した宮城・女川町では断続的に雪が降りました。地元の方によると、東北といえども夏は涼しく、冬は暖かいのが南部三陸海岸の特徴。暖流の影響を受けるためだそうですが、春を前にしたこの時期は冷たい寒流が強まっているので、一番冷える時季なんだとか。避難生活を強いられる皆さんには辛い寒さですが、間違いなく春はそこまで来ています。もう少しふんばってください。

先週、大阪・長居スタジアムで行われたサッカー日本代表とJリーグ選抜のチャリティマッチ。その会場の外でサッカーボールを手にした少年たちに出会いました。ボールには被災地に向けたメッセージがぎっしり。聞けば、観戦にやってきたサポーターたちに、寄せ書きしてもらったんだといいます。でも「被災地に届ける術がない」というサッカー少年たちに代わって、私がきょう女川町に持って行きました。
託されたボール

町の平地部分はほとんど津波に流されてしまった女川町。それでも「通常通り学校を再開し、子どもたちを安心させたい」と、予定を変えず今月8日に入学式と始業式を行うことを決めました。保護者からは時間の猶予を求められる中での苦渋の選択でしたが、「この非常事態で学校がなすべき責任がある」との判断です。きょうは教室の掃除から文房具の準備まで先生方は大忙し。そんな中、ボールを受け取っていただいた教育長の遠藤定治さんは「大変ありがたいこと。ひとことひとことのメッセージに勇気と元気が出ます。子どもたちも喜びます」とおっしゃっていただきました。大阪のサッカー少年たちから託されたボールと“熱い思い”は、間違いなく被災地に届いたはずです。
遠藤教育長

別窓 | きょうの出来事 | コメント:3 | トラックバック:0 | top↑
東京スカイツリーを眺めて
2011-04-03 Sun 21:22
きょうから再び震災取材で現地へ。その途中、東京・墨田区で『東京スカイツリー』を見ました。大地震の時は東京23区でも震度5強の揺れを観測、高さ625メートルまで建設が進んでいたスカイツリーはどうだったのかと心配しましたが、当時携わっていたおよそ500人の作業員は全員無事で、タワー本体にも全く被害はなかったのだとか。
moblog_9c79831d.jpg
“元祖”東京タワー(333メートル)は頂上のアンテナが曲がってしまったそうですが、東京スカイツリーには、五重塔をモデルにした『心柱』が揺れを制御する構造になっていて、まさにその実力を見せ付けたかたちです。関東大震災クラスの地震でも無傷ですむ造りだとはいえ、完成前のツリーで揺れを体験した作業員の皆さんは、どんなに怖かったでしょう。
moblog_173b9043.jpg
そのスカイツリーは大震災からちょうど1週間後の3月18日に完成の高さ、634メートルに到達しました。近くで見ると、周りの高い建物のせいか、想像したよりは低く感じましたが、そのどっしりと安定感のある胴体、まっすぐ天に向かって伸びる形は日本の未来の象徴のようにも思えました。伝統の技法と最新の技術を集め、大地震にもびくともしなかった日本のテクノロジー。この力を結集すれば、世界中が驚くほど早く被災地の復興ができるはず。そうあらねばならないと、天を見上げて感じました。
別窓 | きょうの出来事 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| アナウンサー・藤村幸司BLOG |
copyright © 2006 アナウンサー・藤村幸司BLOG all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。