藤村幸司
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帝劇と震災
2011-05-30 Mon 16:55
一歩、足を踏み入れた瞬間に日常から夢の世界へ。ゆっくり椅子に腰を下ろして待っている時の、じわじわ高まる期待と高揚感。私は劇場独特の“空気”が大好きです。近代的な大劇場や公共のホール、東京・下北沢に代表される小劇場、歴史を重ねた芝居小屋、工場や倉庫を改装した劇場など、どこにも、その劇場ならではの表情があります。ブロードウェイの古い劇場などは、本当にオペラ座の怪人が住んでいそうですし、今年開場100周年を迎えた熊本・山鹿市の八千代座では、壁や柱にあるシミや焼けが、名役者たちの“魂”を刻んでいるように感じます。仕事柄、開場前や終演後の劇場を訪れる機会がありますが、そこには華やかな舞台とは違う、また別の顔が見られます。劇場にもそれぞれに“人格”のようなものがある気がしてなりません。
帝国劇場
そんな劇場の中でも、一番の風格や貫禄を誇るのが東京の帝国劇場、通称・帝劇。私にとってはミュージカルの殿堂、憧れの舞台として、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『屋根の上のバイオリン弾き』など数多くの名作を何度も観劇した劇場です。1911(明治44)年の開場ですから、こちらも今年でちょうど100年となりました。今、エントランスでは100年を祝う花のアーチが観客を迎えてくれます。そこで最近、読み返しているのが嶺 隆・著『帝国劇場開幕~今日は帝劇 明日は三越』 (中公新書)という本。副題となっているのは、当時の流行語ともなった三越の宣伝文句。あの頃は劇場がモダニズムの象徴だったわけです。
帝劇エントランス
建物は何度か変わっていて、今ある帝劇は1966(昭和41)年に建て替えられたもの。本では1923(大正12)年の関東大震災で被災し、改装するまでの帝劇の歴史がつづられていますが、これも波瀾万丈な“人生”のように思えます。首都圏をマグニチュード7.9の大地震が襲った関東大震災では、首都圏の数多くの建物が全壊、半壊する中、帝劇は揺れでの被害を受けませんでした。設計者の横河民輔は、アメリカで学んだ鉄骨構造を日本に初めて取り入れた建築家として知られ、地震にも詳しく、帝劇は耐震性を重視した最新構造となっていたからです。さらに防火壁、消火栓、避雷針など防災設備にも力を入れて作られていたのです。ところが地震に耐え、内部の火災も起こさなかったにもかかわらず、風上に合った警視庁の火災が飛び火し、劇場内部を燃やしつくしたのだそうです。

その惨状は外電で世界に伝えられ、官公庁や銀行の被害は1行で片づけられたのに、帝劇だけは見出し付きの記事になりました。そのため海外でもチャリティ演奏会などが開かれ義援金が集まったといいます。一方、帝劇自体も被災10日後には復興計画をまとめ、その後、帝国ホテルを間借りし公演を始め、何と翌年には劇場を再開しているのです。今、東日本大震災の甚大な被害を前に肩を落としがちですが、歴史から我々の先達たちが、多くの苦難を驚くべきパワーで乗り越えてきたことを知り、勇気がわきます。そこに文化、芸術、スポーツの後押しがあったことも間違いありません。

そして今、帝劇は100周年記念公演『レ・ミゼラブル』の真っただ中。ロビーには出演者から被災地に向けた手書きのメッセージボードと義援金の募金箱。「頑張れ東北!! きっと夢見た明日が来る」その思いは、必ず届くはずです。観劇レビューはのちほど・・・
レミゼ東北メッセ

マリウス役の山崎育三郎さんのメッセージ
育三郎メッセ1

『レ・ミゼラブル』 カンパニーによる応援メッセージ



公式HP『アナウンサー藤村幸司ドットコム』

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両国をタダでぶらぶら
2011-05-26 Thu 23:12
不祥事に揺れた大相撲。あとは文部科学省の承認待ちながら、どうやら来場所の名古屋からは通常開催の見通しとなりました。きょう開かれた日本相撲協会の理事会で確認されたもので、実はその取材のため、東京・両国国技館に行ってきました。街でインタビューすると、おおむね「再開には好意的」な声が多かったものの、「八百長問題の全容解明はうやむやのまま」「根本的な組織改革が必要だ」と感じている人が目立ちました。いずれにせよ特別調査委員会も解散し、一区切りしたための再出発ということなのでしょう。今後の文科省の反応、そして何より国民の相撲に対する“厳しい目”が、新生相撲協会を見守っていくことになるのでしょうか。
両国国技館
ところで、今朝はスタッフとの待ち合わせ時刻より早く着いたので、両国周辺をブラブラしてきました。両国には個性的な芝居が上演される『シアターχ(カイ)』や『江戸東京博物館』があるので、これまでにも何度も足を運んではいるのですが、いつも劇場か博物館だけ。きょう、はじめて目的なく歩いてみたところ、わずか1時間足らずでも楽しい発見がありました。それが全部“タダ”なんですから、お勧めです。

まずは、国技館の中にある『相撲博物館』。ここは相撲の開催がなくても入ることができるのです。年6回展示を入れ替えているそうで、来月17日までは『昭和~平成の大関展』が開かれています。昭和以降で現在までに大関になった力士43人(横綱は除く)のゆかりのものが展示されていたり、懐かしい取り組みのビデオが上映されていました。決して広くもなく、充実しているともいえませんが、相撲ファンはもちろん、そうでなくても楽しめると思います。かつて、個性の強い大関がたくさんいたことを再確認できました。個人的には、大好きだった故・北天佑関の力強い相撲を久しぶりに見られたのもうれしかったです。
相撲博物館
その国技館から北へすぐのところで見つけたのが『旧安田庭園』。江戸時代に大名の屋敷があった場所を庭園として整備したもので、明治24年、安田財閥の祖・安田善次郎の所有となったためこの名が付けられました。関東大震災で破壊され、見る影もなかった時期もあったのですが、墨田区が全面改修工事を行い、今では東京都の文化財にも指定された美しい日本庭園です。池をカルガモの親子が行列して泳いだり、葉っぱをついばんだり。しばし癒されました。ここも入場無料。
カルガモ親子
その庭園を突き抜けたらまた公園を発見、その名も『横綱町公園』。さすが、両国。お相撲さんの公園かと思ってよく見たら『横網(よこあみ)町公園』でした。別名を「震災と戦災のメモリアルパーク。関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊をする公園だそうです。その一角にあるのが、『復興記念館』で、こちらも入場料はいりません。主に関東大震災の資料が展示されていて、当時の悲惨な被害状況を知ることができます。被災した街で身内を探す人々の写真、家族の安否を知るために貼られた張り紙、アメリカの赤十字社が「日本を助けよう」と義援金を募るポスターなど、先日まで東日本大震災で目にした光景と同じであることに衝撃を受けました。そこにはあの帝国劇場が燃えている写真もありました。(つづく)
震災復興記念館

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誰もが原発問題の当事者
2011-05-14 Sat 18:15
きょう、中部電力・浜岡原発(静岡・御前崎市)5号機の運転が止まりました。4号機はきのう停止していて、廃炉される1号機と2号機、定期検査のため止まっていた3号機を合わせて、これで浜岡原発すべての原子炉が停止しました。そもそも東海地震の想定震源域のほぼ中央にある浜岡原発は、30年以内に87%の確率で大地震が起きるとされる場所。福島第一原発の二の舞にならぬよう、菅総理が中部電力に運転停止を要請していたもので、住民の安全を最優先した当然の決断だと感じました。しかし、こと地元を取材してみると、そう簡単ではありません。
浜岡原発
今週は、突然の停止決定に揺れた浜岡原発や、“原発銀座”と呼ばれる密集地、福井・若狭湾周辺を訪ねました。どちらも、今や原発抜きでは考えられない地域。しかし抱える問題や、住民感情はさまざまで、実に複雑です。浜岡原発のある御前崎市は平成の大合併で御前崎町と浜岡町が合併してできた市。地場産業がなかった浜岡町が原発誘致に町の命運を託したのに対し、漁業が盛んで観光地としても知られた御前崎町は原発誘致に反対でした。そんな町同士が、約30年後に合併することになるとは、何とも皮肉に感じます。交付金で作られた立派な施設の数々は旧浜岡町に集中するなど、同じ市とはいえ格差があり、当然、市民の考え方もひとくくりにはできません。

午前8時すぎの浜岡原発正門前、大勢の従業員たちと車の列が、続々と施設に吸い込まれていきます。人口約3万6000人の御前崎市。浜岡原発で働いているのは約2800人で、そのうち地元住民が約1200人。市の原発関連の歳入が予算の4割以上を占めるという現実。「寝耳に水だ」「自治体の財政はどうなる」「自分たちの暮らしはどうなる」と不安の声が上がるのも当然です。

「私たちに“原発どうすべきか”と聞く前に、ここで作った電気を使っている都会の人たちに“どうするの”と聞きたい」

そう話したのは、福井・大飯原発のあるおおい町の男性。関西電力の電気のおよそ半分が福井で作られ、その半分が大飯原発がまかなっています。これまで、そんなことに感謝することなく、平気で電気を使っていた私は、はっとさせられ、返す言葉が思いつきませんでした。今回の原発事故と国のエネルギー政策は「沖縄の基地問題と同じ」と指摘するする人がいます。リスクを一部地域に押し付け、見返りとして交付金をばらまく構図。しかしそこには、共存せざるをえない、生活の一部となっている人たちが数多くいること。
大飯原発模型

敦賀原発を抱える敦賀市で、無党派として政治活動を続ける今大地はるみ市議は、「今、地元には原発についての選択肢があるようで、ない」と言います。先日の統一地方選では、争点にすらならなかったそうです。エネルギー政策は政治の責任ながら、最終的に選択し、行動するのは我々ひとりひとりのはず。今回の震災で、いかに電気に依存した暮らしをしてきたかをも思い知らされました。だから日本のエネルギーをどうすべきか、ひとりひとりがその当事者に違いありません。原発の地元でも「原発がないのに越したことはない」という声も多く聞きました。そして「未来の子どもたちのことを考えたら、やはり今ここで立ち止まらなければ」という今大地さんのことば・・・今も響いています。
敦賀原発

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がんばれ!ああ、松島や
2011-05-03 Tue 22:16
「備えあれば憂いなし」今回の震災で、改めて非常用の準備が見直されています。そこで、きょうの『ミヤネ屋』では、最新の防災グッズを紹介しました。最新の~と言うだけあって、数年前と比べてもかなり進化しています。電池不要、手回し発電の懐中電灯は、ソーラー蓄電もできて、ラジオが聞けて、サイレンや非常灯もあって、携帯電話の充電もできるというスグレモノ。1台5役、6役をこなします。また手回し充電のLEDライトランタンはフル充電で丸一日使えます。余震が続く中、二次災害の危険のあるろうそくで夜を過ごしていた避難所に、これがあればどれほど安心だったのでしょうか。水をいれるだけでごはんになるのが『アルファ米』。30年前、高校の山岳部で食料として使っていた頃は、決しておいしいものではありませんでしたが、今どきのアルファ米は実においしいのにびっくり!種類も、白米だけでなく、五目ごはんやピラフ、ドライカレーなどさまざま。世の中、進んでます。さらに重宝しそうなのが、ガスや電気がなくても食品を温められる『あつあつ加熱パック』。発熱剤に水を入れると、水蒸気が98度まで上がって、レトルトパックも缶詰も温められます。このほかにも、普段でも利用できそうなアイテムがいろいろ出ています。ぜひ家庭の非常用袋も再点検してみてください。


松島のみなさん
そしてきのうの『ミヤネ屋』は、番組始まって初の試み、宮根さん、川田アナもスタジオを飛び出して全編を外から生中継。「東北を応援したい」という思いから、宮城県の松島からの放送です。松尾芭蕉が「松島や ああ松島や松島や」と詠んだ日本三景のひとつ。ここも地震や津波に襲われましたが、周辺地域と比べると比較的、被害は少なかった場所です。沖合の島々が天然の防波堤になったと言われています。 私はヘリコプターに乗って、そのようすを上空からリポートすることになっていたのですが・・・。きのうは強風警報が出るほどの風、結局飛べずじまいでした。

メッセージ
そのため、スタッフの一人として、出演していただく松島の皆さんに声をかけたり、メッセージを書いてもらったりしたのですが、どの方からも名勝地として復興に賭ける熱い思いを感じました。被害が少ないと言っても、津波で浮桟橋4基が流され、小型の遊覧船26隻が流されてしまいました。シャッターが津波でねじ曲がられたままの商店もあります。そんな中、遊覧船は震災の翌日から職員が復旧にあたり、ゴールデンウィークに間に合わせ運航にこぎつけました。園内は泥だらけで、マンボウが死ぬなどした近くの水族館も再開。ペンギンの赤ちゃんが生まれるなど、明るい話題もあって元気に営業しています。「松島が先陣切って、宮城の、東北の復興を勢いづかせたい」その声が、形として見えてきた気がしました。

焼きガキ
ブラブラと食べ歩きを楽しむのもひとつ。このあたりは、カキが特産品ですが、津波でカキのイカダがほぼ全滅してしまいました。でもおいしい松島のカキは全国で育っていたんです。『松島おさかな市場』では、松島の種ガキを使って育てたカキを全国から取り寄せ営業を再開しました。炭火で焼いた焼きガキが3個500円。大きくて、プリプリ。これだけでも「来てよかった」と思える一品でした。そのほか、牛タンつくねに牛タンまんじゅう、牡蠣カレーパンなど、おいしいにおいに、ついつい立ち止まってしまいます。まだまだ復興はほど遠く感じられる観光地も多いのですが、再スタートを切った観光地を訪れることも、大きな支援になることは間違いありません。松島は、景色も、食べ物も、そして“人”も、最高でした。
さかな市場
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