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藤村幸司
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阪神大震災の取材で(1)
2008-01-17 Thu 09:28
6434人もの方が犠牲となった阪神大震災から、きょうで丸13年です。あの日の夕方、私は日本テレビの『ズームイン!!朝!』のプロデューサーからの要請を受け、長崎空港を飛び立ち伊丹空港に向かっていました。上空から見る大阪はいつもと変わらないようすでしたが、神戸の一帯だけが真っ暗で、私の目には、まるで街ごと削ぎ取られたかのように映りました。

翌日、早朝からヘリコプターでの生中継を担当しました。生駒山の中継局に電波を飛ばすため、中継のヘリは高度を下げることができません。新聞社のヘリが低空を飛ぶのを見ながら、私ははるか上空から双眼鏡を手に、火の手が上がる神戸の街のようすを伝えたのでした。ホバリング(空中停止)を繰り返すヘリに乗って、何時間も双眼鏡を使っていると、強烈な乗り物酔いを起こします。正直そのときは、低く飛べないことに、もどかしさを感じました。

ところが、のちに「低空で取材したヘリの音が救助作業を妨げた」とか、「プロペラの起こす風が火事の勢いを増すことにつながった」などの批判を聞きました。さらに、私も地上取材をしていて、上空に数機のヘリが飛んでくると、その音でストレスを感じました。被災者にとっては、比較にならない苦痛だったでしょう。これらは災害報道のあり方に数多くの教訓を残したと思っています。

一方、上空からリポートをしている私は、“悔しさ”と“情けなさ”を感じていたのも事実です。私の下では今まさに、街が焼失しているというのに、水の一杯すらかけることができない。避難所では水や食料を必要としているのに、何を運ぶでもなく上空を飛んでいるだけの自分・・・。もちろん、伝えることの使命を忘れているわけではありませんでしたが、それ以上に、しなければならないことがあるように思えてならなかったのです。

そんなモヤモヤに対して、取材中に、ひとつの答えをもらいました。被災地域を取材しているとき、数人の女性のグループから声をかけられたのです。みなさん、家が焼けたり、傾いたりした被災者の方たちでした。

「長崎のズームインの藤村さんやろ?」

私が「はい、そうです」と答えるのを待たないうちに、ひとりの女性からこんなことを言われました。それは、私にとっては一生忘れないひとことになりました。

つづく

『アナウンサー藤村幸司ドットコム』
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この記事のコメント
#272 従姉妹が被災者でした。
震災の日、私は朝から体調が思わしくなく、出勤したもののインフルエンザの症状が出て緊急入院しました。早朝のニュース番組で「なんかあったらしい」のはおぼろげながら知っていましたが、あんなにひどいとは思いませんでした。母方の従姉妹が神戸にいました。連絡が1週間ほどとれませんでした。小さい頃からとても仲良しで姉妹のように育ったので、とても心配でした。その後無事が確認できましたが、彼女の多くの友人が炎に包まれ、瓦礫の下敷きとなり息絶えたそうで大変なショックを受けていました。当時、学生で留学先でボランティア経験のある妹がボランティアとして現地入りしました。妹の話では「本当に欲しいものが届かない」「善意のつもりかもしれないが、着れそうもない古着や賞費期限切れ寸前の食料を送ってくる」「倉庫に食料・水があるが、被災者の手に渡る前に腐れせてしまう」等々もちろん心温まる話もたくさんありましたが、日本における災害時の行政の対応・民間ボランティアの遅れを考えさせられました。
「本当に何が必要なのかを考えて、心から他人のために」行動する事がどんなに難しいのか、家族・親戚全員が学びました。現地で、自分の無力を思い知ったのか、妹はこの時期になると、未だに悩んでいます。「自分は現地に行くべきだったのか、行かないべきだったのか」と・・・。
彼女の答えは永遠に出ないと思います。
2008-01-17 Thu 19:14 | URL | AYA #-[ 内容変更] | top↑
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